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2018年 NO.645


パウロ三木の父、三木半太夫殿の証し


  パウロ三木は、長崎の西坂の丘で、十字架刑にされた26人の殉教者の一人です。

彼は十字架上から、力強く証し して、言いました。「私が死ぬのは主イエスの教えを

信じ、それを宣べ伝えたからです。
私は何の罪も犯してはいません。キリシタンの教えを

広めたという理由だけで殺されようとしています。死に臨んで、私は偽りを申さぬ事を

信じて下さい。この教えのほかに、救いの道はありません。
私は、この刑について太閤様を

はじめ、お役人衆に何の恨みも持ってはおりません。私が切に願いますのは、太閤様を

含め、日本中の方々がキリシタンになって救われることです。」と、パウロ三木は十字架上

で最後まで説教者として、大胆に証しをしました。この説教に、役人たちが引きつけられて

信じた人がいます。そんなパウロ三木の父親であった三木半太夫も、豪傑なキリシタンで

した。彼は戦場で、敵方の武将が金色の鍍金(ときん)(金のメッキ)を施したものに“JESUS

と書かれた(かぶと)を見て、「汝はキリシタンなりや」と声をかけ、主にある兄弟として、

自分が鎧の上に羽織っていた外套を脱ぎ、それを形勢が不利な敵将に着せて、混乱した戦場

から馬に乗せて救出しました。この三木半太夫のキリシタンとしての蛮勇(向こう見ずの勇

気)は、神社にある牛の像の上から放尿したり、春日大社の鹿を食べたりして、当時人間が

鹿におびえたり、偶像におびえていた時代に、意味のない権威におもねることなく、真理に

対する大胆な証しをした信仰者でした。このような彼が、命を閉じる時「最後まで命を

懸けてキリストを信じる人々を見とうございます」と、主に嘆願して眠りに着きました。

まさに、その祈りは、彼の息子パウロ三木によって、十字架上から大胆に証しを残した

子供の姿で実現したのです。半太夫は、「キリストは、わしの罪の償いをするために、

自らの命を投げ捨てて下さった。ならば、そのキリストを信じている者の友のために命を

捨てるというのは、当然じゃねーか!何故かと言えば、もう天に迎えて頂けるその保証を

頂いたのだから、キリストを信じる者は誰でも救いに与る。そして、パライソへ迎えて

もらえるのだ。だったら、命はいつ捨てたって構わねーじゃないか!だから、わしはその

通りにしたにすぎん」と、実に明確な信仰を現していました。

こんな竹を割ったような信じる信仰に生きたキリシタン武将がいたことを知ると、

私たちは恥ずかしくなります。なぜなら、私たちもキリストの御陰で天に迎えて頂ける

保証を頂いた者ですのに、自分の弱さばかり見て、大胆に「アーメン」とキリストの証しに

同意して行くことができないでいるからです。人間にとって命の保証こそが一番大切なもの

です。それを頂いてしまった者として、いったい何に不安を感じ、何に恐れを覚える必要が

あるのでしょうか?今こそ、人の一生涯の罪の裁きを負って下さったキリストの贖いに

信仰の心が燃え上がり、「絶対主にアーメン」、「イエス様にアーメン」、「キリストの

救いにアーメン」と大胆に声を出して行こうではありませんか。
私たちは救われている

のですから、「終末の志士」として生きる生涯こそが、私たちの「アーメン道」です。



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