2018年11月11日
『輝ける信仰者になる秘訣』
使徒の働き11:1~26
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(起) コルネリオが聖霊を受けた直後の記事(使徒の働き11章)から、「クリスチャンが輝ける
信仰者になる秘訣は何か」を学んで行きたいと思います。
(承)さて、人間というものは、「輝きたい、スターになりたい」という憧れは、誰しもが腹の
中に持っているものです。しかし、それは先祖代々特別な能力を受け継いで生まれてきた特別な
人だけであって、そうでない平凡な人間は、どれだけ努力をしてもスターになることは難しい、
というのが現実です。たとえ、一生懸命努力をして、ある程度の所までは行けたとしても、本当に
輝ける人は僅かな人しかいません。
ところが、聖書を読んで行くと、生まれながらにエリートではない人でも、全能主にあって輝いた
生涯を送った人がたくさんいます。例えば、今日お読みした中で、コルネリオと言う人もそうです。
彼は、ペテロから話を聞き、聖霊を受けました。本来ならば、異邦人は生まれながらにユダヤ人とは
区別され、聖霊に満たされるようなレールには乗っていなかったはずです。当時の異邦人は、
ユダヤ人と区別され、食事をすることも、ユダヤ人の家を訪問することも禁じられており、ある意味
で全能主から見捨てられていた民族です。そんな異邦人のコルネリオが、ユダヤ人のペテロを家に
招き入れることが許され、福音を聞いて聖霊に預かったということは、当時ではあり得ないこと
でした。実に、彼は全能主から特別扱いをされた人です。
しかし、これは人間が意図的にしたことではなく、全能主の御心によって起こった出来事です。
17節で、「全能主が主イエスを信じた彼らに、私たちと同じ賜物をお与えになったのならば、
どうして、私たちが全能主のなさることを妨げることができましょうか」とペテロが語っている
ように、全能主はこの世のルールや常識を超えたことを突如としてなさることもあるのです。
ということは、最初にお話ししたように、生まれながらに能力や賜物を持った特別な人間だけが、
この世でスターになれるのではなく、たとえ私たちのような、生まれながらに差別化された民族で
あり、何の能力もなく、うだつも上がらない人間であっても、全能主にあって輝く信仰者になれる
可能性があるということです。
(転)では、私たちも、全能主にあって輝ける信仰者になる為には、どうしたら良いのでしょうか。
それは、少なくとも、全能主に受け入れられる者でなければなりません。全能主に受け入れられる
ためには、私たち自身が全能主に心を開き、いつも全能主に目を向ける者となることです。
そこで、いつも全能主に目を向ける心は、どうすれば良いのかと申しますと、それは、決して
難しいことではありません。何故かというと、「自分の罪に対して正直になる」だけだからです。
自分の罪を正直に認めるということは、全能主の前に嘘がないということです。ただその心を持てば、
私たちは全能主を真っ直ぐに見れます。すると、全能主も私たちを真っ直ぐに見て下さり、受け
留めて下さいます。
この世では、自分の罪を正直に認めると、人から馬鹿にされ、呆れられ、見捨てられます。
しかし、全能主の前には、それが通用するのです。ですから、私たちはこの世にあって、どれだけ
どん底に落とされようが、辱めを受けようが、自分の罪に対してどんな時でも正直になるべきです。
そのときに、全能主の前に生きると言うことが、どういうことか良く分かってきます。たとえ、
この地上でどん底に落とされても、全能主の前に正直であれば、全能主の前に生きる道があります。
自分の一番の罪、一番の泣き所、ウィークポイントをさらけ出せば、人からは信頼を失い、
ひとりぼっちになるかもしれません。しかし、全能主は「お前は 自分の罪に対して正直だ」と
言って、私たちに目を向けて下さるのです。ですから、私たちは、どんなに自分が恥ずかしい人間
でも、自分の罪に対してはいつも正直であるなら、全能主を真っ直ぐに見上げ、全能主の前に
生きて行くことができ、全能主に信頼されて用いられて行くのです。 だから、私たちは、自分の
罪に正直でさえあれば、こんな人間でも、全能主にあって輝くことができるのです。
(結)こういうわけで、クリスチャンは人に対して輝くのではなく、全能主の前に輝くことが、
命を頂いた信仰者の冥利に尽きます。ならば、私たちは、いつでも全能主を真っ直ぐに仰ぎ見る
ことができるように、自分の罪に対しては全能主にも人にも正直でありましょう。そうすれば、
全能主に目を向け続けて行くことが出来ます。そして、全能主も私たちに目に留めて下さり、
使って下さるのです。これが、全能主の前に輝くクリスチャンの秘訣です。この秘訣をしっかりと
握り、どこまでも自分の罪に対しては正直であろうではありませんか。
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