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2017年 NO.616 |
人間の心の中には、「人に負けたくない」という強い競争心があります。これは、子供の頃 から、生まれながらに身に付いている性質です。しかし、この性質が今、「砕かれた心」を 持つために大きな障害になっています。なぜなら、生まれながらに競争社会の中で生きてきて、 勝つ経験もあれば、負ける経験も通って来ています。しかし、負けた時は、深い敗北感に 捕らわれながらも、なんとか這い上がろうとして来ました。それは、敗北感に打ちのめされた ままでは生きて行けないからです。ですから、その中で身に付けた防御本能は、心の底に持った 「負けたくない精神」です。この「負けたくない精神」こそが、私たちが今、「砕かれた心」を 持つことの出来ない 大きな壁となっています。この「負けたくない精神」は、言葉を 代えると、「人と張り合う心」でもあります。この「張り合う心」は、友人であったり、 兄弟同士であったり、親子間でも起こります。又、先輩後輩の間であったり、所属する部署間で あったり、会社間の間でも起こります。もちろん韓国と日本のように国家間の間でも起こり ます。この張り合う心は負けたくない精神が土台となって、全ての社会や人間関係を壊し、 上下関係の秩序を破壊して行く原因です。ですから、この精神は人間が生きて行く上で活力と なって行くことがあっても、度を越せば、人間同士の です。そこで、クリスチャンは、この「負けたくない精神」を絶対主に対して抱き続けている ことに気づくべきです。それは、これまでの長い間の取り扱いを受けて来たにもかかわらず、 未だに「砕かれた心」の世界に飛び込むことの出来ない現実があるからです。全ての人間は 絶対主の前で罪人です。すなわち、全員が「負け組」なのです。なのに、負けを認めたら終わり だと感じ、「負けを認めた砕かれた心」の中に入って行けないのです。それは、絶対主に対して 「張り合っている」ことになります。その行為は、ルシファーが「全きものの典型であり、 美の極み」として創られたことで、絶対主に張り合ったのと同じです。ルシファーによって 罪の中に入った人間が、ルシファーと同じ心を持っているのです。この「張り合う心」を 砕かないと、「悔いし砕かれた心」に入ることはできません。砕かれた心に入ろうとすると、 「負けたら終わりだ」と脅かされます。その時、勇気を持って負けを認める世界に飛び込み ましょう。 |
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