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2017年 NO.611 |
「初めに絶対主は、諸々の天と、この地球を創造された。」(創世記1:1) 「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍のヤハウェ。その栄光は全地に満つ。」 (イザヤ6:3) 「全ては、絶対主から発し、絶対主によって成り、絶対主に至るのです。この絶対主に栄光が 永遠にありますように。」(ロマ11:36) ヤハウェは嵐の中からヨブに答えて言われた。「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。 わたしが地の基いを定めた時、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、 告げてみよ。あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に はめ込まれたか。その隅の石は、だれが据えたか。…あなたは海の源まで行ったことが あるのか。深い淵の奥底を歩き回ったことがあるのか。…あなたは 地の広さを見極めたことが あるのか。その全てを知っているなら、告げてみよ。光の元はどこにあったのか、闇の元は どこにあったのか、…あなたは天の法令を知っているか。地にその法則を立てることが できるか。…自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。あなたは絶対主のような腕が あるのか。(ヨブ記38章〜40章) 聖書は絶対主の存在の有無を問うたり、絶対主の存在を証明しようとはしていません。 なぜなら、絶対主は「在ってあるもの」だからです。この方が存在しなければ、人の命も、 万物も存在していません。人の命には秩序と法則があり、天地万物にも、秩序と法則があり ます。人間は、人の命の驚くべき仕組みを解明します。又、天地の法則を科学者が解明します。 しかし、その法則を人間は創り出すことはできません。また、天地の法則も創り出すことは 出来ません。人間はただ、創られたものの上に立っているにすぎません。私たちの体は、母の 胎内の内で組み立てられました。しかし、人間が人を組み立てることは出来ません。このことが 分かったら、私たちはお手上げです。人間は何一つ創造したものはないのです。ただ、既に 創られたものの仕組みを調べ、使っているにすぎません。だから、人が誇れるものは何一つない のです。人の業績も人の知性も、全てその能力を与えられていたからにすぎません。 それなのに、命の絶対主に対して下手に出ようとしないのは、 どうしてでしょうか?日本人の 神概念は、「人よりも上なるもの、尊いもの、恐るべきもの」を「カミ」と言って崇めて 来ました。それは、人そのものであったり(偉人)、動物であったり(蛇)、自然そのもの (太陽)であったりしました。しかし、それらは全て、絶対主に創られたものであり、絶対主の 代理として「カミ」と呼ばれていたのです。ですから、日本人の心の中には、究極の「カミ」 概念がありません。日本の神々は、全て被造物であって、「究極的なもの」、「絶対的なもの」 という概念を持っていないのです。それは、創造者と被造物との明確な区別をしてこなかった からです。 勝てる訳がありません。これが分かれば、絶対主を完全に尊重し、敬い、絶対的主権を持つ お方として下手に出て、へり下って従って行くのは当然でしょう。ダニエルは「絶対主を知る 者は、堅く立って事を行う」(ダニ11:32)と言いました。だから、半分信じ、半分疑うのは 間違った心です。100%完全に信じて、確信を持って事を行って行くべきです。 |
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