教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室



2017年8月27日

自分の思いではなく、絶対主の考えを第一にして行く

ヨハネ福音書16:25~33


(起)「自分の思いではなく、絶対主の考えを第一にして行く」ということを学んで行きたいと

思います。

(承) さて、弟子たちはイエス様に、「今、私たちは、あなたがすべての事を知っておられ、

誰もあなたにお尋ねする必要のないことが、分かりました。この事によって、私たちはあなたが、

絶対主から来られた方であると信じます」(30節)と言いました。ここを読む限りでは、

弟子たちが、「イエス様は、絶対主から遣わされて来られたメシヤだ」と信じ、受けとめている

ように思えます。ところが、いざイエス様が十字架につけられると、弟子たちは皆、その場から

逃げ出し、イエス様から離れて行ったのです。それは、本当の意味でイエス様を信じていなかった

ということの表れです。もし本気で信じていたなら、最後までイエス様と一緒にいたはずです。

だから、結局弟子たちは、「わたしがメシヤである」と語られたイエス様の言葉を、心で理解して

いなかったということです。イエス様といつも一緒にいた弟子たちでさえそうだったのですから、

一般の人々や、祭司長、律法学者、ユダヤ人たちも、当然、イエス様の言葉を理解することは

できませんでした。
では、彼らがイエス様の言葉を理解することができなかった原因はどこに

あったのでしょうか。 それは、彼らは聖書の御言葉より、いつも自分の気持ちを大事にしていた

ことにあります。
例えば、イエス様が安息日に 病人を癒されたとき、ユダヤ人たちはイエス様を

激しく非難しました。それは、彼らの中に、「安息日に仕事をしてはいけない」という先入観が

あったからです。しかし、イエス様は、「あなた方も安息日に割礼を授け、穴に落ちた牛を

助けているではないか。それなのに、なぜ安息日に病人を癒して助けてはいけないのか」と

言われました。この理屈は、誰でも理解することができるはずです。ところが、彼らは、

「安息日に仕事をしてはいけない」という先入観の故に自分の感情が先立ち、イエス様の言葉を

受けとめることができなかったのです。このように、彼らには、「自分の考えがついて

行かないから、イエス様に聞き従うことをしない。」という頑なな心を持っていたのです。

すなわち、「イエス様の気持ちよりも、自分の気持ちを大事にしていた」ということです。

(転)では、私たちはどうでしょうか。実は、私たちにも、「イエス様や絶対主の気持ちよりも、

自分の気持ちを大事にする」という部分があるのです。しかし、当時の人々と、私たちの立場の

違いは「十字架と復活が起こった以後に、  イエス様を信じた信者だ」ということです。

すなわち、私たちは、イエス・キリストが罪人を救うためにこの世に来られたということと、

罪人の罪の償いをするために十字架で死なれたことと、三日後に甦って天に帰られたことも、

すべてを知った上で、イエス・キリストを信じたのです。ですから、私たちは「イエス様を

信じて、天に入れていただける者となりました。」ならば、「この命、この体はいつ失っても

構いません。どうぞ絶対主の御心のままに使ってください」という  方向に真っ直ぐに向かうはず

です。ところが、ほとんどのクリスチャンは、救われた後でも、この心を持っていません。

どこまでも自分の気持ちを優先して、自分の思いを追求しこの地上でのご利益を求めて、地上で

幸いを第一に考えて生きています。ですから、未信者と同じ感覚で自分の好きなもの、

受け入れやすいものを信じ、自分中心に生きているのです。この生き方は、救われた者に対する

絶対主の御心ではありません。クリスチャンにとって大切なのは、自分の思いではなく、絶対主の

考えです。
「絶対主の考えはこうだ」と分かったら、自分の気持ちがどうであろうが、

「分かりました。そうします」と言って、従って行くのがクリスチャンの在り方です。
「絶対主の

気持ちは分かるけど、自分の気持ちがついて  行かないからできません」と言うのは間違って

います。今、私たちが御霊さまの声を毎日聞いているのは、絶対主の考えを知り、その絶対主の

気持ちを第一にして生きて行く生き方を始め出すためです。御霊さまは、常に絶対主の考えを

私たちに教えてくださいます。だから、御霊さまの声を毎日聞いて行くと、「絶対主の気持ちは

こうなのか。ならば、それに合わせて行こう」という思いに変えられて行くはずです。


(結)どうか、今までの生き方を改め、自分の気持ちではなく、絶対主の気持ちを第一に考えて

行きましょう。もし、御霊さまの声を聞き、絶対主の気持ちが分かったにもかかわらず、

なお自分の気持ちを優先して行くならば、その人はクリスチャンとは言えません。

「自分、自分」ではなく、
まず絶対主の国と絶対主の義を第一に求めて行くのがクリスチャン

です。
今こそ、この生き方を本気で始め出そうではありませんか。

 


 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室