(起)「絶対主に好かれ、絶対主に信頼される秘訣とは何か」ということを学びたいと思います。
(承) さて、使徒達の大胆な福音宣教を見ていくと、「イエス・キリストが、十字架にかかって
死んで下さっただけでなく、三日目に甦り、今も生きておられる預言通りの救い主である」という
ことが、大胆に語られています。そこで、使徒達の話を聞き、キリストを信じて救われた者たちが
大勢増し加えられて行きました。しかしその一方で、使徒達に対して敵対心を顕わにし、彼らを
捕えて牢の中に閉じ込めるようなことも起こってきました。ところが、使徒たちはそのような目に
遭っても、決してひるむことなく語ることをやめませんでした。むしろ、「絶対主に聞き従う
よりも、あなた方に聞き従う方が、絶対主の前に正しいかどうか、判断して下さい。私たちは、
自分の見た事、聞いた事を語らないわけにはいきません」(4:19)と、力強く宣言したのです。
普通なら、「これ以上、祭司達に逆らって苦しい目に遭うのはごめんだ、ほどほどにしよう」と、
臆病風に吹かれてもおかしくはありません。しかし、彼らはそのようなリスクを承知の上で、
どこまでも大胆に働きを続けて行ったのです。そして、「今彼らの脅かしに目を留め、あなたの
しもべたちに、この上ない大胆さをもって御言葉を語らせて下さい。そして、あなたの聖なる
しもべイエスの御名によって、癒しとしるしと奇蹟とを行わせて下さい」(4:29~30)と、
絶対主に声を張り上げると、彼らは聖霊に満たされ、実際にイエス・キリストの御名によって癒し
としるしと奇蹟を行う者とされて、生涯、主の働きに用いられ続けて行ったのです。
(転) 実は、この使徒たちの働きは、他人事ではありません。なぜなら、私たちも、これから
やって来る終わりの時代では、彼らと同じような働きをし、同じような迫害も受けていくことに
なるからです。今はまだ、具体的な働きは始まっていませんが、これらの働きの下準備は、
これまでにずっとされて来ました。その下準備の一つは、ペテロも経験したように、「自分自身の
力に頼ることが一切できないことを、心底思い知る」ことでした。それは、「もし、自分自身の
力に頼る意識を持ったままで主の働きを始めて、聖霊による力を受けていたのなら、絶対主から
頂いた賜物が、全部自分の力だと思ってしまう危険性があったから」です。もし頂いたにも係わら
ず、誤解し、如何にも自分の力から出たかのように錯覚し、変な自信を付けることがあったなら、
簡単に悪魔の餌食になってしまうからです。傲慢という罪は、まさにルシファーの罪と同じに
なってしまいます。だから、私たちは、「元々人間には何の力もない」という事実を自覚させ
られ、たとえ聖霊の満たしによって賜物を受けたとしても、それはあくまでも特別に頂いたもの
であって、自分が持っていたものではないという意識を、しっかりと、育(はぐく)んでいなけれ
ばなりません。
そしてもう一つ、これからの働きのための大切な下準備は、「常に絶対主の側に立って物事を
考える」ということです。自分の側で、自分中心に物事を考えて、「こうしたい。こうしていこう」
と思っても、それが絶対主の意向と合っていなければ、何の意味もありません。だから、私たちは
まず、自分自身から離れ、どこまでも絶対主の側で物事を考えて行くのです。すなわち、絶対主の
懐に飛び込み、絶対主が何を考えておられるのかを汲んで行く事が大切です。そして、「絶対主の
お考えに合わせて行こう」と、一生懸命心を使って行くのです。それを 私たちが始めたならば、
絶対主は私たちを好いて下さり、信頼して下さいます。絶対主は、そのような者に力を与え、仕事
を任せたいと願っておられるのです。使徒たちも、イエス様と一緒にいた頃は、イエス様に対して
勝手な先入観を持ち、「メシヤが死ぬはずがない」と思い込んでいましたが、聖書を読み、絶対主
の側から考えた時に、「イエス様の十字架と復活は、絶対主の計画によって、予め定められていた
ことだった」(使徒4:28) ということが、後で分かったのです。そのことが、復活の後で
見えて来たからこそ、「この上ない大胆さをもって御言を語らせて下さい」と絶対主に願い、
彼らは聖霊に満たされ、主の働きに用いられて行ったのです。
(結) 私たちも、これまでのいろいろな経験を通して、ペテロ達のように「自分達は、生まれな
がらに罪人で、何の力もない者だ」ということを思い知りました。しかし、それだけではいけ
ません。これからは、絶対主の側から物事を見て行くことを始めるのです。すなわち、絶対主の
懐に飛び込んで行くのです。懐に飛び込むことによって初めて、絶対主のお考えが分かります。
絶対主のお考えが分かったなら、そこに積極的に心を合わせて行くべきです。その心こそ、絶対主
に好かれ、絶対主に信頼される秘訣です。
どうか、一人一人がこの心を持って、これからの働きを始めさせて頂こうではありませんか。
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