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2016年 NO.557


 
善悪を知った人間の罪


  「アダムは今や、善悪を知る者となって、我々の一人のようになった」(創3:22)。

絶対主は、なぜ「善悪を知る木から取って食べてはならない」と言われたのでしょうか?

もし人が、善と悪を知って善を行う者となれば、そんな良いことはありません。しかし、

絶対主に逆らった人間が、善悪を知って、善だけを選択できるとは限りません。むしろ、

人は善悪を自分で判断し、一個の独立した存在として、自分の都合のいい道を選んで行く

ようになったのです。ですから、善を知れば善を行えるわけではなく、むしろ、善悪を知ら

なかった時の方が、少なくとも悪を知らずに済み、絶対主に逆らい続けることもなかった

はずです。むしろ、絶対主の考えのままに生きておれたのですから、その方が幸いだった

のです。それは、絶対主の聖なる考えの中に身を置いた安全な世界であったのです。


しかし、人は、善悪を知る者となって、絶対主やイエス様のように自分で決める者となり

ました。絶対主やイエス様は聖なる方ですから、その善悪の判断は、聖なる考えに基づいて

判断し、行う方です。しかし、人は絶対主に背くことによって獲得した能力ですから、

正しく善悪を判断できないのです。これが逆らって手に入れた罪の現実です。

自分では正しく判断しているつもりで、実は損得の心がその判断の本音となっています。

ですから、今日の私たちは、正しい善悪の判断は、聖なる絶対主にお任せしていくべきです。

そのために、私達は、自分が獲得した善悪の判断を絶対主にお返しし、これからは、

「絶対主にあって判断する」ように、習慣化すべき
です。ジョージ・ミュラーさんは、

「それを決めた人」でした。しかしながら、現在の私たちは、自分で決めた判断で行動する

のが当たり前となっていますので、だから、絶対主の御心に従うのではなく、自分の考えた

判断で生きよう
とする、独立した人間が正しいと思われています。
だから、自分の決めた

考えは、自分の律法として絶対主にさえ逆らうようになっているのです。必ず、自分の頭を

通し、絶対主の御心さえも自分の善し悪しで決めようとしています。これが罪人の姿です。

この善悪を判断する権利を砕いて、絶対主に無条件で従う道を歩み出しましょう。

それが絶対主を信頼する生き方です。

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