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2016年8月14日



心の土台を、絶対主中心に据え変える

ヨハネの福音書8:21~32、37~47


(起)「心の土台を、世の考え方から絶対主中心の考え方にはっきりと据え変える」ということ

について、学んでいきたいと思います。

(承)さて、今お読みした箇所では、イエス様がユダヤ人に必死に語りかけているにも関わらず、

その会話がかみ合わない悲しい現実が記されています。その為、「信じた」と言いながら、主を

否定して去っていくユダヤ人たちの姿が出てきます。27節を見ると、「彼らは、イエスが御父に

ついて話しておられたのを悟らなかった」とあります。イエス様はいつも父から出た者として、

父の言葉、父の御心を語っておられたにも関わらず、ユダヤ人の心の中には留まらなかった

のです。彼らは、41節では、「私たちにはひとりの父がいます。それは絶対主です」と言って

いるのですが、もしユダヤ人の父が、本当に絶対主であるならば、イエス様と同じ父に心を

向けていたはずです。しかし、そうではなく、全くかみ合っていない現実がありました。

それはなぜかというと、彼らの「心の土台」が絶対主になっていなかったからです。イエス様は

そのことをはっきりと宣言しておられます。23節を見ると、「あなた方は、下から出た者

であり、わたしは、上から出た者です。すなわち、あなた方はこの世の者であり、わたしは、

この世の者ではありません」と言われました。彼らは、「絶対主を信じている」と口では言い

ながら、心の土台は絶対主ではなく、「この世の考え方、この世の常識」が、彼らの心の土台と

なっていたのです。すなわち、彼らの父は、絶対主ではなく悪魔だったということです。

この世の君は悪魔ですから、この世を土台にして生きている者は皆、悪魔に従う者であり、

悪魔を父にしている者です。だから、彼らはイエス様から、「あなた方の父は、悪魔です。」

(ヨハネ8:44)と言われ、「あなたがたの内に、わたしの言葉が根をおろしていない。」

と言われたのです。

(転) では、私たちはどうでしょうか。実は、私たちもこのユダヤ人たちと同じです。私たちの

教会は、これまでずっと同じメッセージを聞き続けてきましたが、そのメッセージを悟りきる

ことができず、なかなか一致できない中にありました。その原因は、私たちの「心の土台」が

絶対主になっていなかったからです。確かに、イエス様を信じた時には、まことの絶対主が

おられることを知り、「これからはこの方に従って行くのだ。この世のことや自分のことなんか

どうでもいい」という気持ちを持ったはずです。ところが、その考え方は、この世では通用

しませんでした。
なぜなら、この世は人間中心で、人間以外のものに従う心がないからです。

周りには神社仏閣があって、その時々に人々は手を合わせて拝みます。

しかし、「この方は唯一まことの絶対主で、この方に従って行くことがすべてだ」と言われても、

同意する人はいません。だから、私たちが絶対主と出会い、「この絶対主がすべてだ。この方に

従って行けばそれで良い」と思っても、その心は、未信者には理解されませんので、人々から

馬鹿にされ、「あの人は変わり者だ」と言われ、世から爪弾きにされるのを恐れて、妥協する

のです。そこで、クリスチャンが「家族、友人から外れ者にされたくない」という気持ちを

抱くと、クリスチャンは、世と調子を合わせ、世受けするような生き方をして行こうとします。

すなわち、クリスチャンとなったにも関わらず、「この世の考え方、この世の常識」というもの

を自分の心の中心に、土台として持ち、その上に信仰を築き上げようとしているのです。


そして、世間体ばかり気にして、「近所の人から誤解されないように。」「変人扱いされ

ないように」という意識の中で、自分自身の心を世に向け、信仰の心を軽んじ、心の土台を

この世に置いてしまったのです。それが、私たちの一番大きな問題点です。


(結) 私たちはイエス様のおかげで救われ、絶対主の手の中に入れられました。

それが分かった以上、私たちはこの絶対主から離れることはできません。だからこそ、

「絶対主の国と絶対主の義を追い求めて行く」という道に真っ直ぐに 向かって行くのが

クリスチャンです。その心は、信じたときに、私たちの心の中に直感で入ったはずです。

ならば、その心を自分自身の心の土台に替え、生きて行くべきです。
たとえ、世間との間に摩擦が

起こっても、「自分は信じる道を通す。どこまでも、イエス様、絶対主の考えに立っていく。」

と決めて行くのが、クリスチャンの正しい姿勢です。
 絶対主は、ご自分の御子を犠牲にして

まで、私たちを救ってくださったのです。それなのに、その救いを頂いた者が、 なぜ世間体を

大事にし、自分を守ろうとするのでしょうか。それは絶対に間違っています。
どうか今日、

世を中心とした考え方を捨て、心の土台をはっきりと据え変えてください。そして、ここから

本当の信仰をスタートさせて行きましょう。

 

 


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