人は完全ではありません。人間は弱さを持っています。罪があります。怯えがあります。
しかし、通らねばならないところは、通らなくてはいけません。人の人生の中には、必ず
そういう時が来ます。イエス様も十字架の前で「怯え、苦しみ、絶望のあまり死ぬ程です」
と言われました。そして血の汗を流し、怯えの中で祈られました。「もしできることならば、
この杯を取り除けて下さい。しかし、わたしの願いではなく、あなたの御心をなさって下さい」
と祈って、ここぞという時の「心の定め」をされました。実は、キリシタンの殉教者の方々
の証しの中には、死を目の前にして、「怯え、恐れ、臆病になった。」とあります。しかし、
「ここぞという時の気張りは、今じゃないですか」と励ましがあり、「あぁそうだ」と
「心を定められた」とあります。人は死を目の前にすると、みな怯えます。しかし、怯えて
逃げてしまったら終りです。最後に666のサタンが姿を現わします。そのサタンに従った者
たちは、全てを失います。人はどんなに苦しもうが「これが、この時です」という心の定めを
持たなくてはなりません。そして、ここぞという時に背中を押して下さるのは、絶対主であり、
イエス様です。イエス様も同じように、父からの声がありました。私たちは、ひとりぼっち
ではありません。必ずその後ろに支えの声があります。私たちは、肉を持っていますから、
肉の声に惑わされ弱気になります。しかし、肉の声は私たちの本心ではありません。本当の
心はイエス様の心に従うことです。イエス様の励ましをそのまま受け留めることが純粋な
心です。人は弱い者です。臆病者です。しかし、弱い者であることを認めた上で、「通らね
ばならないところは、通っていくのです。」それが私たちの信仰の意思表明となるのです。
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