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2015年 NO.548




自分の命の使い所とは!


  
  私たちは、物心ついた時に「私という自分が存在する」ことに気づきます。そして、「私の命は、自分のものだから、人に自分の運命を決められたくない」と、思って生きて行きます。しかし、しばしば「運命のいたずら」ということばを耳にします。それは、「自分の命であっても、自分の思い通りにならない」という現実に出くわすからです。人はいくら健康に気をつけていても、ある日突然、「ガンの宣告」を受けます。「私がなんで、なんで」と自問しても、運命として諦めるしかない禍が襲って来ます。「ここに自分の命であっても、自分の思い通りにならない世界」に遭遇するのです。では、この限られた命の使い方を、どうすれば思い残すことなく、 悔いなく使って行けるのでしょうか? 
 それは、自分の命を使う喜びを感じて行くことです。この生き方は、単なる夢の実現を追い求めて行くことではなく、自分の命の創造主を知り、喜び、この命の価値を知ることから生まれて来ます。「自分の夢をただ追い求めて行く」ことは、単なる自己満足の行為で終ってしまい  ます。ですから、限られた命の使い方は、私の命を創って下さった方の心を満足させることで 。例えば、私たちが絵を描く時、その描いた絵を、「自分の手元にいつまでも残して置きた い」と思った絵こそ、価値があります。売って手離すことの出来る絵は、自分の単なる糧になったに過ぎません。作者を満足させる絵こそ本物です。私たちも、私たちの命の製作者(創造主)が、手離したくないと思われる人間(人生の生き方)となる時、自分の命の使い道に喜びを見出すのです。それが、クリスチャンにとって、命の製作者の心を満足させて行く生き方です。この生き方は、命の製作者の心を、御霊によって内なる人の内に(とど)め、その内なる人の声 を、素直に聞いて従って行くところから始まって来ます。私たちの命を創って下さった方の心 を満足させることが、自分の命の使い所です



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