キリストの救いによって新しく生まれた人は、御霊の命を持ちます。御霊の命を持ったクリ
スチャンは、古い人と新しい人の二面性の性質を持つようになります。ただし、キリストに
よって新しく生まれたとしても、古い人が消え去るわけではありません。この古い人はアダム
から受け継いだ100%罪人の性質です。これは、この世を去って「体の贖われる」
(ロマ8:23)まで続きます。そこで、多くのクリスチャンは、その区別なしに古い人の中
に御霊の思いを入れていますので、古い人を100%罪人扱いできず、自分の古い人(肉)を
守るのです。ですから、肉の思いと御霊の思いがゴチャ混ぜになって、御霊によって歩みたい
と思っても肉の思いがいつも勝って敗北するのです。ですから、古い人(生まれながらの肉の
思い)と新しい人(御霊の命による霊的な思い)の区別がされていかなければなりません。
しかしながら、人は、「怒られたり、否定されたり」すると、反射的に古い人が反応し、
「嫌だなー、聞きたくない」と思って心を閉じます。すると、その気持ちの暗さがもろに
顔付きに表われます。これは、古い人を砕き、古い人を退けていない生まれながらの人間の
日常の姿です。ところが、御霊にあって生きようとする人は、頭ごなしに怒られても、あえて
心を開いて聞こうとします。すると心は明るくなり、顔付きも明るくなって相手の言わんと
する考えが心の中に入って来ます。すると、心から謝る言葉が出て来るのです。
これは、怒られた時に、肉の中に入って行かないように、自分の意志で戦い、古い人で反応
しないように心掛けているからです。こういう人は、「肉にあって生きていても、肉の性質に
従って生きる義務を負っていない」(ロマ8:12)ことを行っている人で、新しい人で生き
ようとしているからです。これを行っている人は、霊と肉を分けているのです。この戦いは、
クリスチャンにとって必須条件です。なぜなら、古い人は100%罪ですから、新しい人に
とっては退けるだけのものです。この区別をしない人は、自分の肉をかばい続け、100%の
罪人であることを自覚できない人です。この肉は退けるものであって、消え去りませんから、
程々に付き合っていくしかないのです。しかし、イザとなったら、100%退けて、主の側に
100%純粋に立つのです。
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