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2015年 NO.518 |
イエス・キリストを信じたクリスチャンの内には、御霊による新しい人が生き始めます。 それは、「誰でもキリストにあるなら、その人は新しく創造された」からです。 (第Uコリント5:17)しかし、クリスチャンが新しく生まれたからといって、生まれ ながらの古い人が消え去るわけではありません。この古い人は、肉体を脱ぎ捨てるまでは付き 合って行かなければなりません。すなわち、この世を去って新しい御霊の体の中でのみ生き 始めるのは、新しい天と新しい地に入った時からです。その時までは、「相反する二つの心を 持った者」として生きていかなければなりません。だから、クリスチャンの戦いがここに あるのです(ロマ7:19)。 しかしながら、パウロさんは言いました。「兄弟たちよ。私たちは肉にあって生きていても、 肉の性質に従って生きる義務を負っていません。」(ロマ8:12)それは、古い性質と御霊 による新しい性質の二つの心を持ったクリスチャンが、親から受け継いだ「古い性質」と、 キリストによって頂いた「新しい御霊の性質」の区別をはっきり見極めて、肉の性質に従って 歩まず、御霊によって歩むことが出来るからです。では、どのように歩めば御霊によって 歩めるのでしょうか? 多くのクリスチャンの場合、肉の思いと御霊の思いがゴチャ混ぜになって、本来なら御霊に よって歩みたいと思っていても、肉の思いが勝って、いつも敗北するのが現実です。それは、 古い肉の性質が、生まれながらの自分自身であってどうにもならないと考えているからです。 しかし、それがアダムから始まって代々受け継ぎ、直接的には自分の親から受け継いだ性質で あるなら、その流れを「イエス様の御名」の権威によって断ち切ることができます。そして、 自分の肉の性質に対して客観的になり、その性質を嫌うなら、それから離れようとする意志も 発揮することができるでしょう。そこで始めて、自分の肉の性質に対しても第三者となって、 退ける戦いが可能となります。この断ち切りがないと、いつまでも古い人の虜となって惨めな 自分に失望するだけになってしまいます。ですから、この親からの流れである性質を断ち切り、 肉の性質に立ち向い、「御霊の初穂を頂いている私たち自身」(ロマ8:23)が、御霊に従う 者となれば、聖霊のバプテスマを受ける前でも、「素のままで戦い、わたしの初穂となって もらえませんか」と言われた絶対主の御心を行うことが出来るのではないでしょうか。 この古い人と新しい人の区別をすることこそ、御霊によって歩む第一歩です。この道に進んで 行きましょう。 |
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