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2015年1月25日    



絶対主に仕えていく者の心




 ルカの福音書17:5~10


(起)「絶対主に仕えていく者の心」について学んでいきたいと思います。

(承) さて、5節を見ると、使徒たちはイエス様に「私たちの信じる心を増して下さい」と

願っていますが、これは言葉を換えると、「私たちを一流の信仰者にして下さい」という願いです。

私たちも、信じる心が薄く、いつもフラフラしている信仰では満足出来ません。ですから、

そのような信仰ではなく、「信じることが当たり前で、信じることに安心と余裕と自信に満ち

あふれた、そんな一流の信仰者になりたい」と思います。では、その一流の信仰者になるための

ポイントは何でしょうか。それは、「絶対主の言葉を自分の考えとする」ということです。

ごちゃごちゃ悩んだり、苦しんだり、 あっちに行ったり、こっちに行ったりしてフラフラして

いるのは、三流、四流のクリスチャンです。一流の信仰者は、「あなたのお言葉は、私の考えです。

だから、何でもやらせて下さい」という心が、一流のクリスチャンです。
だから、この一流の

信仰者の心を持って、絶対主に仕えて行くしもべでありたいと思うのです。絶対主は、この教会

にいる者全員が、このしもべの心を持つことを願っておられます。


(転) では、一流の信仰者の心を持つために必要なことはなんでしょうか。

それは、自分を守ろうとする気持ちを捨て、捨て身の信仰に立つことです。今日お読みした中に

出てくるこのしもべは、自分を守っているでしょうか。守っていません。逆に、「自分が主人に

仕えていくのは当然で、命じられたことをするのは当然です」という気持ちを持っていますから、

もし命じられたことに対して、自分が失敗して怒られたとしてもそれを嫌がらず、「すいません

でした」と心から謝ります。それが、このしもべの心であり、本気で主のために仕えて行く心を

持った者です。これが、一流の信仰者の第一歩です。もし、本気で一流の信仰者になりたいと

思うのなら、この心が絶対に必要です。いつも自分を守って、自分が追い込まれる度ごとに、

ストライキを起こすようでは、三流の信者となります。それは、主に仕えているのではなく、

自分に仕えているからです。怒られ、非難されることが嫌で、おどおどしていたら、絶対主の

ために、何もできません。それは、この世の中でも同じです。失敗することを恐れ、そして

怒られることを恐れ、いつも不安の中で仕事をしている人は、会社でも使われなくなります。

しかし、たとえ失敗しても、その誤りを自分の責任として認めていく人は、怒られたことに尾を

引きません。ちゃんと謝って責任を取っていく心を持っているからです。こういう信者には、

安心して仕事を任せることができます。サラリーマンや、会社に勤めている人たちでさえ、

この心を持っている人がいるのです。
ましてや、私たちは超一流の絶対主に仕えているのですから、

そうするのは当然です。
であるならば、超一流の信者として、「従うのは当然」という安定した心、

落ち着いた心を持って行くべきなのではないでしょうか。自分が失敗したからといって、いちいち

後ろを振り向いたり、「いつ怒られるか」と、おどおどしているような者を、絶対主はどうして

使うことができるでしょうか。私たちは、失敗して怒られて当然の者ですし、自分の失敗は消そう

と思っても、消せません。それは、生涯背負っていくものです。罪人ですから、罪人扱いされて

当然です。だから、全部受け留めていくのは当たり前で、それを帳消しにしようとしてはいけ

ません。それが、主に仕えていく者の心です。その心さえ持っていれば、いくら自分の立場を

失おうが、非難されようが、私たちは揺るぎません。罪人が失敗したら謝るだけの者です。

それで卑屈になったり、すねたりしません。それでも、仕えていく心は変わりません。

「私は役に立たないしもべです。為すべき事をしたにすぎません」というこの心で、最後まで

仕えていくのです。その信仰こそが、浮き沈みのない、安定して落ち着いた一流の信仰者の心です。

(結) これからは、「主に信頼して仕えていくのか、いかないのか」、どっちかです。中途半端

な生き方はありません。中途半端な信仰では、艱難時代に必ず転びます。主に信頼していくならば、

どこまでも信じて行く。これが、ジョージ・ミュラーさんの信仰で、私たちも、この一途な信仰を

貫くのです。そして、私たちの教会は、そのミュラーさんの 信仰に習ってきた教会です。

ですから、絶対主は私たちの教会を使って下さろうとしておられるのです。この教会にいる人たちは、

今同じ心を持っていなければなりません。自分自身の全てを懸けて、ミュラーさんと同じ生き方

をしていく決断をしようではありませんか。その決断は、自分に対してするのではありません。

絶対主に対してするのです。自分という不完全なものに頼って決断するから、その決断がいつも

曖昧になるのです。この決断は、超一流の絶対主への絶対的な信頼のゆえにするのです。絶対主は

全能のお方であり、ご自分のなさろうとしておられることができないお方ではありません。何でも

できるお方です。だから私たちは、信頼できるこのお方に対して、決断するのです。

そして、
変わらない絶対主の言葉を、そのまま自分の考えとして行くのです。私たちは、今決断し、

このしもべの心を持って主に従っていきましょう。
 


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