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2014年 NO.489 |
『心の転換(ヘブル書11章1〜6節)』 |
「主を信じる心がなくては、絶対主に喜ばれることはできません。」(ヘブル11:6) 絶対主に喜ばれるためには、喜ばれるための心を使わなければなりません。 「アベルは、カインよりも優った生け贄を絶対主に捧げ、その生け贄によって義なる者と 認められました。」(ヘブル11:4) それは、アベルは絶対主の心を汲んで、カイン よりも優れた生け贄を捧げようとしたのです。すなわち「喜ばれる」とは、相手の望む ことを行うことです。それは相手の心を汲む心の使い方によって、生まれてくるものです。 多くの人は、自分のためには心を使います。しかし他人のためには面倒ですから心を使い ません。確かに心を使わない方が楽に決まっています。しかし、事自分に関しては、 心を使って欲しいと思うのが私たちの心情です。 しかしながら、そんな自己中心の私たちでも、自分が好きになった人には、無意識に心を 使います。決して、心が使えないわけではありません。マグダラのマリヤは、イエス様が 大好きになりました。だから彼女は、墓に入れられたイエス様の傍らにずっといたのです。 私たちも、イエス様が好きになったら、心を使うに決っています。自分の感情よりも イエス様のことを優先したくなります。 私たちは、いつも自分の感情を大切にして、それを満たしてもらうことが救いだと思って いました。しかしそうではなく、「心の転換」さえ起こせば、主に従うのが当り前で、 自分の感情よりも、主に従うことが喜びとなるのです。私たちは、自分の感情を大切に していけば「腹が立ったり、怒ったり、むかついたり、あげくの果て、感情を爆発させて 平安を失うのです。だから、私たちは、「心の転換」をして、絶対主を自分の殿にする 心の使い方をして、絶対主に喜ばれる者となっていきましょう。 |
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