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2013年 NO.492



ペテロ岐部茂勝神父の殉教



 1606年、秀吉のキリスト教禁教令が出てから19年後、ペテロ岐部は有馬の

セミナリヨ(信徒神学校)に入学し6年間の学びの後、本格的な司祭の道を求めて

インドのゴアに渡りました。しかし、現地の管区長の偏見のため受け入れを拒否され、

単独陸路を通ってローマを目指しました。途中、パキスタン、イラン、イラク、ヨルダン

の砂漠を通り、言葉も風俗も分らない中での一人旅は、生死をかけた決死行であった

のです。そして、2年をかけてようやくローマに到着した時、すでに彼を受け入れない

ようにとの回状がマカオから届けられており、彼の志を打ち砕いてしまいました。

  しかし、現地の神父等の尽力を待って神学生となり、司祭に叙階されました。

それからローマを去って、1630年ついに坊ノ津に上陸します。19才で日本を

出発して16年間の歳月が流れていました。35才でした。

 それから、徳川幕府の禁教令の取り締まりの厳しい中8年間も活動し、命を懸けた

キリストの証人となって行ったのです。彼は、フェレイラの背教を知った時、夜中に

山を下りフェレイラと会って、「一緒に奉行所へ行って背教を取り消し、私と共に死に

ましょう」と執り成しています。フェレイラは断ったのですが、岐部は、いつでも死ぬ

覚悟をもって宣教していました。そして、潜伏しながらの伝道が困難と分った時、宿主

に拷問の危害が及ぶのを案じて自ら捕えられ、1638年に穴吊りの刑と、焼けた

鉄棒による拷問によって絶命しました。

 そんな彼が、イエス様とお会いした時、そこに偶像礼拝の過ち、マリヤ礼拝、告解、

聖餐式、洗礼など、自分が伝えた「まがい物の教え」に驚き、人々に間違った教えを

渡してしまったことを悔い、この地に留まり続けたのです。


  しかし、彼の心の中にあった「イエス・キリストの救いこそ、私たち罪人にとって

本物の救いでございます。」
と、悔いし砕かれた心をもってローマまで行き、そして

日本に戻って来て、命がけで伝えた働きを、イエス様は、「彼をそのままに放って置く

ことはできません。それをしたら、わたしがわたしでなくなります。」
と言われ、

「多くの日本人に、わたしのことを語り継いでくれてありがとう」と慰めて下さった

のです。

  本当にイエス様の心は、砕かれた心の行動を尊んで下さるのです。単なる行いでは

ありません。イエス様の為に命を懸けた真実な行動の証しを、放って置かれるわけが

ありません。私たちも終わりの時代にあって、この日本人の精神を受け継いで、

イエス様に砕かれた心をもって従って行きましょう。


 
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