ローマ書8:1〜13
(起) ロマ書8章から、「原罪から解放されたクリスチャンの歩み」ということについて、学んで
いきたいと思います。
(承) さて、ロマ書8章を理解するために、まずは7章から見ていきたいと思います。
パウロさんは7:24で、「私は、なんという惨めな人間なのでしょうか。」と言いました。
それは、「私がしたいと思う善を行わないで、したくない悪を行っているからです。」とある
ように、自分は、本当はしたくないのに、犯してしまう罪の根(原罪)があるということに
気付いたからです。パウロさんは、律法に対して非常に厳格な方で、旧約聖書に書かれている
律法を守って生きて来ました。ですから、外面的な律法の行いについては、自信のある人でした。
しかし、心の内面を見た時、したくない悪を行おうとしてしまう心(原罪)があるということに
気付いたのです。それが7:23に書いてあります。
「心の律法」というのは、「心の板に書き記された律法」です。これは、表面的な「これをして
はいけない。あれをしてはいけない。」という外面的なものではなく、山頂の垂訓に示された、
心の内面に訴えかけられた律法のことです。パウロさんは、外面の律法に対しては、「しっかり
と守っている。」という自負心がありました。しかし、「心の律法」が入ってきた時、自分では、
どうにもできない「原罪」があるということに気づき、その原罪の虜になっている自分に
気付いたのです。だから彼は、「自分はなんと惨めな人間だろうか。」と言ったのです。
(転)では、なぜ次の25節で突然「私たちの主イエス・キリストの故に、絶対主に感謝
します。」と言えたのでしょうか。それは、7:6にあるように「キリストと共に死んだ事
により、私たちを捕えていた律法から解放された」からです。それはどういうことかというと、
原罪を持っている私たちは、内側にある罪の故に苦しみますが、イエス様を信じた時、
私たちは、「キリストと共に死んだ者」とされ、同時に、死んだ者は、罪の「原罪」からも解放
されたということです。7章の冒頭から見て行きますと、「律法というものは、その人が
生きている期間だけ支配するものです。」とあります。ですから、その人が死んでしまえば、
その律法からも解放されるのです。例えば、ある夫婦がいて、たとえ夫が暴力的な人、性格の
悪い人、稼ぎの悪い人であったとしても、結婚した以上は、妻は我慢していかなければなり
ません。しかし、もし夫が死ねば、結婚関係から解き放たれ、自由になります。私たちも
同じです。原罪を持った者として生きていましたが、キリストと共に死んだことによって、
原罪から解き放たれたのです。解き放たれた者は、先週も学んだように、キリスト共に生きて
いくことができるのです。つまり、肉の本心ではなく、イエス様によって生かされた「その霊
の本心」で生きていくことができるということです。しかし、私たちがこの地上にあって
肉体を持っている限り、肉の性質に捕らわれます。しかし、「肉にあって生きていても、
肉の性質に従って生きる義務はないのです。」(8:12)なぜなら、キリストと共に
死んだ者は、原罪も死んだのですから、肉という古い人に従う必要はないのです。
しかし、この肉は、まだ贖われていませんので、現実的に、なお肉に従って歩んでしまう
ことは起ってくるでしょう。その場合には、悔いて告白して行くべきです。そして、罪を
犯していない者であるかのように、罪を棚上げにしてはいけません。
聖書には、「励んで悔い改めよ」とあります。こうして、私たちは、またそこから御霊の
働きかけによる「霊の本心」で生きていくことができます。それがイエス様によって、
原罪から解放された者の歩みです。
(結) こうして、私たちは、イエス様の贖いのおかげで、「霊の本心」で生きていくこと
ができる者とされました。これは、決して自分の努力で勝ち取ったものではありません。
ですから、この生き方は、自分の目線で生きていくのではなく、絶対主の目線で生きて
行くのです。それが、霊の本心で歩むということです。9:20のように、自分の目線で
考えて、絶対主に言い逆らう権利なんて私たちにはありません。イエス様にあって死んだ
クリスチャンは、絶対主の目線で生きていくのが、正しい生き方です。その考え方によれば、
主に従うことは当然になっていきます。「主に従います。」と言ったとしても、結局は自分の
目線で生きていくのなら、それは従うことにはなりません。また、私たちが御霊の満たしを
求めているのも、絶対主の目線で生きて行くために必要な力だからです。私たちの心が、
「自分の目線ではなく、絶対主の目線で全ての事を考え従っていくこと」を定めるなら、
主に喜ばれる生き方になるでしょう。又、それが「原罪から解放されたクリスチャンの歩み」
になるのです。この幸いの中に歩んでいきましょう。 |
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