〈 二者の比較について 〉
(a) 創造主が考案されたものを、人間の手によって発見され人間が定式化する。
(b) 創造主が考案されたものを、人間の手によって創造主が定式化する。
(a)の創造主が考案し、人間が定式化したものは、自然法則です。
この自然界の法則は、人間によって発見され、人間が自然言語ないし、人工言語によって
定式化しました。しかし、自然法則を発見しても、人間が自然法則を作ったわけではあり
ません。これは、万物の創造時に、創造主が被造物全体の中に法則をプログラミングし、
インストールされました。ですから、創造主の創られたものを人間が変更したり、停止
したりすることは決してできません。この自然法則は、常に普遍的に有効であり、例外が
ありません。ですから、自然法則は絶対主のように絶対です。これが(a)の創造主の
創られた自然法則です。
さて、(b)の創造主が考案し、創造主が定式化したものとは、何でしょうか。
それは聖書です。聖書は、創造主が人間に啓示し、創造主が定式化しました。
なぜなら、人は単に創造主のことばを霊感によって聞いて、言われたことをそのまま記
したにすぎません。ですから、定式化したのは、創造主ということになります。この場合
の定式化は、自然言語を用いています。この聖書は、私たちが御霊の声を聞いて記して
いるのと同じ方法で記されました。ですから、創造主の啓示を創造主が定式化したもの
なら絶対です。
ですから、パウロは使徒行伝24:14で、「書かれている事の一切を、隅々まで
信じております」と言っています。私たちは、聖書に書いてある事が、そのまま通用する
か試して来ました。これまで教会は、「まず第一に絶対主の国と、絶対主の義とを追い
求めなさい。そうすれば、これらのものは全て添えて与えられます。」とある聖書のことば
通り試して来ました。そして、今日までその通り全て添えて与えられて来ました。
ですから、確信をもって言うことができます。(b)の「創造主の啓示の書を全て、そのまま
信じることができます」と。 |