創造主は、異邦人であるルツをイエス・キリストの家系の中に入れられました。
主は、心ある者を決して蔑まれない方であることを、聖書を通して明らかにしておられ
ます。九州の殉教者と牧師の接点は、「砕かれた心」です。今回殉教者の声を聞いて
誰一人、その接点の本質を見抜く人たちがいませんでした。いくら、サタンによって目が
曇らされていると言っても、自分が見ようとすれば分るものです。その証拠に日曜日の
夜の牧師の訴えに、心で答えたのは、ヨッシー一人です。大人は、みなうなだれている
だけでした。8才の幼子が「僕は愚かだった。先生の言うことを、真剣に聞いてこな
かった。」と悔い改めたのです。ヨッシーのように子供の頃から、砕かれた心を素直に
表す訓練を受けていれば、大人になってからでも、たとえサタンの妨げの中に置かれた
としても、心を砕くことができます。しかし、多くの大人は、「プライドと我の塊」で
心を砕くことが、どういうことかさえ分っていません。分っていたら、20年もの月日が
あれば十分、チャンスはあったはずです。だから今、その時が来たのに、心を開くことも
出来ないし、心に何を入れたらいいのかさえも分らない。
主は、「油を用意しなかった愚かな娘たちに、「わたしは、あなた方を知らない。」と
言われます。主は、「当初の全員に対して直接油を注ぐことは断念します」と言われ
ました。みんな、自発的に心を開く意志を表わさなかったからです。本来なら、激しく
教会全体が動き出すはずでした。しかし、「『空っぽの器に油を注ぐ』約束は守ります。」
と言われます。「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に、目を覚ましましょう。 |
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