『自分には、疑いがあるから、
クリスチャンになれない』
イエスキリストを信じることに疑念を抱く理由には、いくつかあります。
@反抗心から疑念を持つ。こういう人は「自分の人生を他人に決められてたまるか」と
心の底で反発するプライドの高い人に、この傾向が見られる。
A神に失望したことが理由で、疑いを持ち続けている人。
こういう人は、「祈ったって叶えられるか」「神は本気で私と向き合ってくれているのか」
「そもそも神なんているのか」と反発している人です。
B過去の傷が原因で疑っている人。強姦・いじめ・家庭内暴力・仲間はずれ・倒産・
病気などで、「神がいるなら、どうしてこんなひどい目に会うのか」と反発を抱く人。
C知性と信仰のはざまで「頭の良い人でないと信仰を持つことができないのか」と
落胆している人。
D仕事が忙しすぎて「神のことなんか、考えている暇がない」という人。
E他人の信仰と比較して「あの人には、あんな喜びがあるのに、自分にはない」と言って
ひねくれている人。
実は、詩篇の60%は哀歌で、嘆き悲しんでいる歌が収録されています。
ですから、疑念を抱くことは仕方ありません。しかし、疑念の先に希望を持つのが
信仰です。この世は悪魔が空中の権威を執るものとして支配しています。
ですから、いつも、サタンからの疑念が来ます。しかし、堅く信仰に立って悪魔に立ち
向かわなければなりません。
立ち向かうとは、疑念を抱かせる悪魔に格闘をしかけることです。何によってでしょう。
「祈り」です。祈りは、サタンとの戦いです。私たちが祈りをしなければ、サタンをの
さばらすだけで、彼らのやりたい放題になるのです。ですから、全能主に向って祈り、
悪魔の働きを妨げるのが祈りです。祈りは、おねだりではありません。祈りはサタンに
戦いを挑むことであり、戦いを仕掛けることです。その祈りは弱々しい祈りではいけま
せん。創造主の子として、力強く戦い挑むことです。
この、祈りの力をサタンに対して現わしていきましょう。
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創造主に対して力強く祈る!
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