『地獄について』
地獄の話しは、仏教の教えの中から出て来る専売特許の話しのようですが、本来の釈迦
の教えは「死んだら無となる」のですから、そこには、神も仏も地獄もありません。
ですから、死んだ後で法事を行い、死者の供養をするのは、無になった死者には不要
です。ところが、日本の仏教の教えの中には、飢餓で苦しむ地獄の話しが出て来ます。
せっかく釈迦が、カルマと輪廻思想で苦しむヒンズー教の教えから解脱の道を教えたのに、
日本では逆戻りしています。しかし、人が「業」で苦しみ因果の道理によって、後で
必ずその結果を生むという考えは、世界の歴史の中で消えたことがありません。
それは、人が自分の罪の苦しみから解放されていないからです。ですから、人間の道義的
感情からは、地獄の応報は消え去ることはないのです。人は、自分で自分の命を造った
わけではありません。人間は、自分の意志の外で創造された者です。その創造主の意図や
価値観を無視した時に、人の罪と苦しみが現われるのです。そして、その報いとしての
刑罰は、命の主権者の前では、弁解の余地はありません。すなわち、自分を宇宙の中心
に置いて、毎日の生活を決定して来た自分中心な選択に対する結果こそが応報です。
人間が偶然の産物ではなく、進化した猿でもありません。
ですから、人間の命を創造されたお方の関係を拒否した行為こそが、自分の選択して
きた報いの当然の帰結となるでしょう。
そこで、その誤った選択を悔い改めて、人間の罪の償いを十字架上でして下さった
イエス様の救いを認める時に、地獄の応報からの唯一の救いの道が開けてくるのです。
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