『奇蹟は起り得るか?』
「奇蹟が自然法則への直接違反であるならば、理性的な人間に奇蹟を信じろというのは、
土台無理な話である。」と批評家は言います。しかし、自然法則が適用される際には、
他の自然的要素の介入、あるいは超自然的要素の介入のないことが前提とされます。
例えば、重力の法則に従えば、「ものが落ちたら、それは地面に落ちる」でしょう。
しかし、リンゴが木から落ちて、それが地面に着く前に、人が手で受け止めたら、それは
重力の法則に違反して介入したことになります。ですから自然法則のルールは、他の要素
の介入のない理想的な環境下で起ることだけを対象にしている法則です。しかしながら、
リンゴを人間が受け止めたからと言って、重力の法則を覆すことにはなりません。
それは、ただ人間が介入しただけです。 同じように創造主の奇蹟も、基本的にこれと
同じです。
もう1つの例として、この世界では、ウランの核分裂を人間が制御しながら、
エネルギーを利用していますが、それを放置したら核分裂の暴走が起り大惨事と
なります。しかし、優位に立つ人間が、自然界の法則に介入して、新たな事例を作り
出しています。同じように、優位に立つ超自然的介入者(創造主)がいて、新たな
事例が起きたとしても、自然法則への直接違反とはなりません。
ダーウィンは自著「種の起源」の中で、「どんなものであれ、軽微な変化によっては
生じ得ない、複雑な器官の存在が証明されたなら、私の学説は成り立たなくなる。」と
言いました。ところが、ダーウィンの時代にはまだ解析できなかった細胞のDNAの発見に
よって、今日の進歩した科学は、「進化による少しずつの変化によっては存在できない
設計図の存在」を明らかにしたのです。ですから、ダーウィンの自然選択では説明の
つかない世界、すなわち、知的超自然的介入者の存在が明らかとなりました。
ですから、奇蹟は科学と矛盾することなく、奇蹟は超自然的優位に立つ方が環境に介入
しただけのことで、「イエスが水の上を歩いた奇蹟」も、自然界に働きかける知的な
超自然的介入者(創造主) が存在すれば、当然起り得ることです。
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イエス様は、当たり前のようにして
湖の上を歩かれた!!
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