『苦悩からの解放』
この世に苦悩が存在するのは、創造主の不在を意味するのか?
「もし悪人だけが癌にかかり、詐欺師だけが痴呆症にかかるのなら、神の正義も
まんざら捨てたものでもない。しかし、愛らしい子供が脳腫瘍になり、一生懸命
頑張っている学生が、薬物症状の男にひき逃げされたら、天を仰いで『なぜだ、なぜ
こうなんだ』と叫びたくなります。」また、「愛の神が、台風や地震、津波で罪のない
人の命を奪うなんて許せない」と叫びたくなる。しかし、こんな情況の中で、神が椅子
にふんぞり返って「結局のところ、君たちの不始末だからね」と言われたら、たまった
もんじゃない。だが、神がこう言ってそっぽを向いたとしても、私たちには文句1つも、
通用しない。
ところが、創造主はこうした正論を越えて、信じられないことに、すべての苦悩を
自分が引っかぶって、私たちの痛みのために苦しみ、苦悩の真只中で自分自身の命を
投げ出して下さったとしたら、これ以上、何を望むことがあるだろうか?そもそも、
悪を現実化したのは、我々人間です。なぜなら、人間には、全てのことを自分で
選択して自分で決断する自由意志があるからです。もし、自由意志がなければ、
悪と苦しみのない世界が実現したかもしれません。しかし、全ての人間がロボット化
され、画一化されて、ただの「石」の世界が存在した事でしょう。しかし、人間には
善を行う自由も、悪を行う自由も、創造主を愛する自由も、あるいは創造主に背く
自由もある。ですから、その自由によって悪を選び取り、悲劇が人間社会に入り込んだ
責めは、私たち人間にあるのです。
しかし、創造主は、人間が選び取った苦悩と痛みの世界に入り込み、イエスが
十字架上で、人の全ての苦悩の身代りとなり、その罪の呪いから人間を贖われたのなら、
これこそが究極の創造主の返答となる。苦悩があるから創造主は存在しないと言う
人々は、安全パットに包まれて、自分の選択の責めを他人事にして、ぬくぬくと創造主を
否定しているのです。しかし、一方で本当に苦しんでいる人こそ、その苦しみの中から、
創造主の愛の涙に目を向けるのです。実は、人間の苦悩の中にこそ、創造主の光を見る
のです。その悲劇のどん底に、イエスの引き裂かれた愛の身代りを見るからです。
我々の苦悩の代価は支払われました。それなら、それ以上何が必要でしょうか。
私たちの苦悩の対処法は、もう苦悩は苦悩として受けていけばいいだけです。
我々の苦悩の責めは、完全に払われてしまったからです。
実に苦悩の中に創造主は存在するのです。
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