『創造主の偏見に満ちた性質について』
聖書の批評家たちは、旧約聖書に登場する大量虐殺の話に目を向けて、「創造主は
崇拝に値する存在なのか」と疑問を投げかけます。そして、創造主の性質は、偏見に満ち、
身勝手で、非情で報復的で気まぐれであると。
確かに、申命記7章では「聖絶し、容赦してはならない」とあり、Ⅰサムエル15:3
では「アマレクを打ち・・・聖絶し・・・子供も乳飲み子も・・・殺せ」とあります。
これらは、カナンの悪が満ち、又、アマレク人の蛮行に対する創造主の裁きであることは
確かです。すなわち、創造主の性質が完全に聖であることの証しであり、又、罪に対する
審判こそが創造主の性質の主権の現われであります。なぜなら、創造主は生命を創った
方ですから、それを奪う権利があります。しかし、人間は生命を創造していませんから、
人の生命を奪う権利はありません。そして、創造主は、ご自分の聖なる計画に基づいて、
人を裁くことも、赦すこともされる主権者であります。アマレク人に関しては、創造主の
目から見て、悪と暴力と堕落に満ちた社会でした。又、ノアの大洪水以前の社会も、
人の心は、いつも悪に傾いていました。ですから、創造主は人を創ったことを悔いて、
全ての生き物を滅ぼされました。
これらの創造主の主権を、人間の目から見た善悪で判断し、創造主の見方に当てはめては
なりません。しかし、そんな悪に傾く人間でさえも、創造主の憐れみによって、人は、
イエスキリストによって罪が贖われ、赦されることもあるのです。これは創造主の愛です。
だから、創造主は、決して気まぐれな方ではありません。又、「子供には罪はない」と
いいますが、創造主の目から見て、罪のない 子供は一人もいません。
人は、生まれながらに罪を持っています。しかし聖書は、責任を問われる年令に達して
いない子供は、天国に行く(Ⅱサムエル12:23)とあります。創造主は、血も涙もない
非常な方ではないのです。
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創造主は人をつくった事を悔いて、
全ての人間を滅ぼされました。
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