『なぜ、創造主は人間を滅ぼしてしまわないで、
永遠に地獄に置くのか?』
地獄が永遠に存在することは、地獄への反感を抱く理由の1つになっています。
ですから、地獄の中で永遠の後悔と苦しみを体験させるよりも、創造主が人間を滅ぼして
しまう方が人道的ではないかと反論します。
ところが、この「人道的」という意味は、人間を物として扱うことではなく、
人間を人間扱いすることを人道的といいます。すなわち、創造主が人間を人間扱いされるから
こそ、人間の自由意志を重んじられるのです。
自由意志がなければ、人間は、単なる物となり、人間性を失うことになります。ですから、
自由意志を尊重すればこそ、選択の結果としての天国と地獄があるのです。
そこで、もし、地獄がなく、死んだら終りとなれば、人間の選択の意味はなくなります。
選択の結果がなければ、感情のおもむくまま、何をやってもいいわけです。ですから、
創造主が人間の人間性を重んじているが故に、それに見合う祝福と刑罰もあるのです。
そして、その刑罰も、永遠でなく、終りがあるとすれば、終りが早いか遅いかの問題だけで、
刑罰はないのと同じです。逆に言うと、天国の祝福も、永遠でなく、ある期間だけだとする
なら、少しだけいい思いをさせられてそれで終りなら、ないのと同じです。
全て、時間と共に天国も、地獄も消え去るのなら、結局は消滅するのですから、人間性の
本来の意味もないのと同じになってしまいます。
ですから、創造主は、天国は永遠、そして地獄も永遠のものとされているのです。
これこそ、人間が生きている時の自由意志の選択が、どれほどの重みがあるか分ります。
これが本当の人道的(人間扱いしていること)扱いなのです。
自由意思による選択に重みがある。
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