『創造主は、なぜ自分を拒否するような人間を
創り出したのか?』
創造主が、未来のことを知っているのなら、創造主に従わず、地獄行きになることが
分っているような人間を、なぜ創ったのか。と反論する人々がいます。
確かに全知全能のお方ですから、自分に従うことがはっきりしている人間だけを創って、
そうじゃない人間を創らなければいいではないかと考えるのは、もっともな理屈です。
しかし、もしそうであれば、人間に自由意志を与えたことにならず、これもロボットに
なってしまいます。このことに関して、聖書を繙(ひも)解いていきますと、
「永遠の命に定められていた人たちは、みな信仰に入った。」とか、
「あなたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び」とあります。
また、「創造主は・・・世界の基の置かれる前からキリストにあって選び」とあります。
これは、100%創造主の主権によって、人は救われるということです。
ところが、正反対の御言もあります。「御子を信じる者は永遠の命を持つが、御子に
聞き従わない者は・・・ 創造主の怒りがその上にとどまる。」とあります。
また、第Tペテロには、「彼らは、実にそうなるように定められていたのです。」と
ありますから、人間の自由意志100%によって救われるか、救われないかが決まります。
では、いったいどちらが正しいのでしょうか?創造主の主権で決まるのか?
人間の自由意志で決まるのか?
聖書は、この相反する二面の両方を真実としています。
ですから、私たちは、自分勝手に一方のみの考えに立ってはいけないのです。
両方とも、創造主の前で正しいのです。この真理は、人間の頭で理解できません。だから、
私たちは、へり下って、両方とも正しいと受け取るべきです。
イエス・キリストは創造主であり、また被造物としての人間であるというのは矛盾して
います。しかし、その両方を実現させるのが、創造主の知恵であり、全能の力なのです。
だから、信じる人も信じない人も創造主が創っておられ、また信じるか信じないかも人間の
自由意志による責任です。この事実は、この地上の学者では 理解できないでしょう。
一面だけで真理を見ようとするからです。この真理の二面性は、聖書だけでなく、
創造主の創られたこの自然界にもあります。すなわち、光は波(線)であり、粒である。
これは矛盾しています。
しかし、この矛盾する真理が、この創造主の創造の世界にあるのですから、否定できま
せん。人が、「自分の知恵によって創造主を知ることができないのは、
創造主の知恵によるのです」とある通りです。人間は、創造主の前にへり下るべきです。

光は粒子でもあり波でもある。
粒子と波の両方の性質を併せ持つ、量子というものである
※「ウィキペディア」より |
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