『自立心の正しい働かせ方』
ヨハネ21章15〜17節
@ 今朝は、イエス様が「あなたは、わたしを愛するか。」とペテロに三度も聞かれた
理由を考え、私たちの立つべき信仰について学びたいと思います。
A さて、ペテロはイエス様からの問いかけに、「主よ、私があなたを愛することは、あなたが
ご存じです。」と答えました。
しかしながら、イエス様が問いかけられた「愛」の意味は、アガペーの愛(一方通行の愛)を
求められたのに対して、ペテロはフィリオスの愛(相互通行の愛)で答えたのです。
このペテロの応答には、「愛」の意味に大きな隔たりがあります。
しかも、ペテロは同じフィリオスの愛で二回も答え続けました。この会話は、日本語では、
同じ「愛」となっていますが、当時のイエス様とペテロの会話では、明らかに、違う単語の
やりとりであったのです。
では、アガペーの愛を求められたイエス様の意図はどこにあったのでしょうか。
それは、ペテロが主に「あなたのためには、命も捨てます。」(13章37)と訴えた言葉を
思い起こさせ、その心こそがアガペーの愛であることを教えたかったのです。
そしてその心に戻り、その心で従ってくることを願われたのです。
B では、アガペーの「愛」を表していく歩みについて考えてみましょう。
ペテロはイエス様に、「私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」と答えました。
するとイエス様は、「私の羊を養いなさい。」と言われ、主の働きに加わるようにと諭されたの
です。それは、主がペテロを召されたとき「あなたを、人を漁る者とする。」と言われた
その働きに、アガペーの愛を持って養い、育てるようにと促しておられたのです。
では、人に求めない一方通行の愛をどのようにして表していけばいいのでしょうか。
私たちの心には、「自分を受け入れてくれないとイライラしたり、ムカつきが起こって来たり
してやる気を失います。」また、「自分の好意を分かってくれないと腹が立ったり、ストレスが
溜まってきます。」これは、自分の思い通りにしたいという自己中心な思いから出てくる
感情です。ここでハッキリと自覚しなければならないのは、この感情、思いこそが悪魔から
来たものであるという事です。
それは、エバが悪魔に騙されて、「神のごとくに思い通りになる」と考えたところから入って
きた感情です。ですから、自分の思い通りにしたいという感情こそ悪魔の騙しであり、
罪の原点です。ですから、ここで正しい自立心(自由意志)を働かさねばなりません。
それは、悪魔から来ているそれらの感情や考え方、思いを否定し、また反発の心を砕いて、
正しい自立心(自由意志)を働かせていくことです。その瞬間、イライラが消えますから、
「創造主の栄光のために生きていこうと、正しい自立心を働かせていくのです。」
即ち、正しい意志をどのように働かせるかが、信仰の表われなのです。
イエス様がペテロに三度聞かれているのは、ペテロが自由意志をどのように働かせてくるかを
見ようとされたのです。ですからペテロは、「命も捨てます。」と言ったアガペーの気持ちに
戻るようにと言われているのだな、と心を働かせ、アガペーの愛で答えれば良かったのです。
ところが、どこまでもフィリオスの愛で答えてしまいました。ですから、ヨハネのことが
気になってしまったのです。それに対してイエス様は、「あなたには、何の関わりがあるのか?
あなたは、わたしに従ってきなさい。」と言われ、「人のことは関係ない。一方通行の愛で
わたしに従ってくればいいのだ。」と言われたのです。
C 私たちは、悪魔に騙されて持った自立心は、間違っていることを認めて
全否定していきましょう。肉を否定すれば悪魔は働いてきません。ですから、創造主のために
正しい意志を使っていきましょう。それは、「食べるにも飲むにも、何をするにも、創造主の
栄光を表すことです。」腹を立てながら福音は語れません。主から頂いた自立心を
正しく働かせ、いつも福音を語れる状態で歩んでいきましょう。 |
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