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2011年8月28日



自立心の正しい用い方



ヨハネ18章1〜11節




  

@ 今朝は、イエス様が、「父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにおられようか。」と

言われた御言葉に目を留めて考えていきたいと思います。

Aさて、ヨハネの福音書では、ゲッセマネの園でのイエス様の苦悩は記るされていません。

しかし、他の福音書では、「父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにおられようか」と

ハッキリ言われるまでの心の葛藤が記されています。それは、イエス様が人としての肉体を

とられたが故の葛藤でもありました。

Bでは、人としてのイエス様が、この心の葛藤から、どのようにして心を定められ、勝利を

取られたのでしょうか。勝利の秘訣は、真理の二面性にあります。

というのは、
人間は創造主のかたちに創造された(創世記127)ことによって、

二面性を持つ者となったからです。それは、被造物であるが故に創造主に従う立場の一面性を

持ちつつ、もう一方においては、創造主と同じように自立心(自由意志)を持つ者として

創られ、自分の思い通り、考え通りにやっていこうとする部分もあわせ持ったからです。

初め、アダムとエバは、その自由意志をもって、創造主に喜ばれる生き方をして行こうとして

いました。しかし、その自立心を歪んだものにしたのが悪魔です。
悪魔は、創造主のように

全ての点で思い通りになれると言って誘惑し、自立心を、創造主に逆らう歪んだものにして

しまいました。
それ以来人間は、持っている自立心を創造主の栄光を表すために用いるの

ではなく、自分の栄光を表すために使うようになりました。これこそ歪んだ自立心です。


自分の思い通りにしたい、という傲慢こそ悪魔が人間に与えたものであり、罪の根本なのです。

クリスチャンの悩みの元は、この歪んだ自立心なのです。クリスチャンは、自分が被造物で

あることを理解し受け入れた者ですから、創造主の前にへりくだって生きるべきだと

分かっています。ところが、生まれたときから、信じるまでの期間は、自分が被造物で

あることも知りませんでした。だから、ただ自分のために生きて行くという自立心が、

当たり前であったのです。ですから、信じた後でもクリスチャンの腹の中には、

「自分のやりたいようにやりたい」という思いを持っています。その感情のトゲを悪魔は

知っていて、突いてくるのです。その時へりくだらなければ、「頭では分かるが感情が着いて

いかない」とプッツンして自分を治め切れず、「もういい!」と創造主から離れていくのです。

その可能性を全てのクリスチャンが持っているのです。

この歪んだ自立心をどのように断ち切り、解決したらよいのでしょうか。

そもそも
歪んだ自立心は、悪魔のだましによって人間がつかんだものです。

ですから、それが出てきたら否定すればいいのです。そして創造主の栄光のために前向きに

自由意志(自立心)を使っていけばいいのです。
イエス様も、十字架の死に至るまでの苦しみを

覚え、「できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と願いました。

しかしその自由意志を自分のためではなく、「どうぞ、みこころのとおりをなさって

ください。」と創造主の御心に立って用いられ、ハッキリと心を定めて、「父がわたしに

下さった杯を、どうして飲まずにおられようか」と、正しい自立心に立たれたのです。

こうして、
二面性の心を持つ人間の正しい自立心の用い方を、イエス様が模範を示して

くださったのです。


C これで、私たちの心の中に潜んでいた罪の原点は、人間の二面性の中にあり、私たちを

悩ませて来た正体であることがハッキリと分かってきました。

ですから、この歪んだ、自由意志を用いることをせず、それを砕き、否定してシャットアウトし、

自立心を主の栄光を表すために使っていくなら、

私たちの、創られた意味を喜んでいけるでしょう。
 

                                        

  
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