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2011年3月27日



戦う相手


ヨハネ黙示録3章7〜13節




  

@ 今朝は、私たちが戦う相手は、背後にいる悪霊に対するものであり、目に見えない相手に

焦点を合わせていくべきであること
を学びたいと思います。

A さて、クリスチャンが患難時代を通るのか否かについては、解釈が二つに分かれています。

患難時代が来る前に引き上げられるという人たちの根拠の一つは、黙41節の「ここに上れ」と、

310節の「試練の時に、あなたを防ぎ守ろう」(口語訳)という御言です。

しかし、御言をそのまま汲み取って読んでいくときに、その解釈には無理があると思います。

というのは、「ここに上れ」と言われたのは使徒ヨハネであって、クリスチャンではありません。

これから起こることをヨハネに知らせるために、ヨハネは天に引き上げられたのです。

また、「あなたを防ぎ守ろう」と言う言葉の中には、地上にいる人々に対して言われている

思惑があります。さらに福音書を見るなら、聖徒たちは、「荒らす憎むべき者」を見るのです。

また、黙示録では、1412節まで聖徒がいます。

それは患難時代の中を通っているということです。

こうして、聖書全体から汲み取っていくならば、私たちクリスチャンは患難時代を通っていく、

と考えるのが妥当だと思います。
それ故に私たちは、
今から、666や悪霊の働きに対する備えを

していく必要があるのです。なぜなら、患難時代は、まさに悪魔との戦いだからです。


B では、私たちは、
どのように備えていくべきなのでしょうか。

聖書は言います。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の

支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ612)と。

確かに聖書は、創世記から黙示録まで、悪魔の実在を記しています。

キリストの恵みや愛だけを心に留め、戦わねばならない相手には触れないというのでは、

片手落ちで、知らないうちにその罠にはまってしまいます。

悪魔は、食い尽くすべきものを捜し求めながら歩き回っているからです。

私たちの教会は、悪霊の実在を知らされた教会です。

それは私たちの教会にとって必要なことでした。事の本質が解からない人々からは、

誤解されたり、呪われているかのように思われるかも知れませんが、悪霊の存在を馬鹿にする

クリスチャンこそ、能天気な人々と言えます。

なぜなら、「神の子が現れたのは、悪魔の仕業を打ち壊すためです。」

(第1ヨハネ3:8)とあり、イエス様と弟子の働きの多くは、悪魔を退けることでした。


なのに、今日のクリスチャンの多くは、悪魔の仕業というだけで、毛嫌いします。

そのことは、すでに悪魔の手玉に取られているということです。私たちの体験は、悪魔の実在を

知ったことによって、私たちの戦うべき相手を知りました。

今日、クリスチャンが信じた後に教会から離れていく原因の多くは、肉的になったり、

自分の霊の本心でもない方向に向ってしまい、自分でそれを変えようと思っても変えることが

出来ない状態に陥ったり、教会に反抗したりするのは、悪魔がその人たちの心の中に

働いたからです。そのことが、本人も、教会も見抜いていないのです。

この悪魔を退けるには、「硬く信仰に立って、悪魔に立ち向かうことです。」

私たちは、
全能者である創造主を仰ぐことによって、オールマイティの方が、悪霊を追い出して

くださるのだと確信できるのです。ですから、確信を持ってイエス・キリストの御名によって

宣言するのです。


C 私たちの教会は、「創造主に近づきなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。」と

言われています。この真理は全世界に伝えていかなければなりません。

なぜなら、「私たちの戦いは、血肉ではなく、

天にいるもろもろの悪霊に対するもの」だからです。
            

                                        

  
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