@ 今朝は、「不正の富で、自分のために友を作りなさい。」と言われたイエス様の
真意を考え、「なりふり構わず一生懸命やっていく事」を学んで行きたいと思います。
A さて、不正な管理人の例え話は弟子たちに向かって語られたものですから、クリスチャンで
ある私達にも語られているものです。その内容は、主人の財産を乱費しているという訴えが
された管理人が、解雇されたあとの自分の身の振り方を考えたことから始まります。
管理人は考えました。「土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしい。そこで思い
ついたのは、主人から借金をしている者たちを呼んで、その証文を割り引いて書き換え、
恩を売るというものでした。そうすれば、解雇されたあとで、自分を迎えてくれるだろう。」と
考えたからです。そして彼はそれを実行したのです。その事を知った主人は、彼の抜け目の
無さをほめました。それは管理人の不正を認めたということではなく、「お前は本当に抜け目の
ないやつだな〜」と、あきれほめた、ということです。
B では、イエス様が弟子たちに語りたかったことは何だったのでしょうか。
この話しの後で言われました。「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。
そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えて
くれるのです。」。
これは、会社の経理をごまかして自分のために友をつくれ、ということではありません。
では主の本心はどこにあるのでしょうか。そのヒントは16節にあります。
「律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、
無理にでも、これに入ろうとしています。」と。即ち、今はイエス様のおられる恵みの
時代であり、古い律法の下にはなく、誰もかれも神の国に入ろうとしているのです、と
言われたのです。
ですから、遊女だろうが取税人だろうがどんな罪人でも、神の国に入ろうとしているのです。
これは律法時代では考えられなかったことです。だからこそ今、不正の富を使ってでも、
神の国に入るべきです。神の国に入っていなかったらあとで大変なことになるからです。
ですから、この地上の富を何のために用いていくのかが大切なのです。
そこで、小事(10節)とは、地上の富のことを指しており、それに忠実であるようにと
言われています。それは、一番大事なことに使うことです。
19節以後に記されている金持ちは、ただ贅沢に遊び暮らして自分のためだけにお金を使い、
永遠の御国のために備えて使うということをしませんでした。
その結果、ハデスの苦しみに行ったのです。
もし、地上の富を御国のために使ったのなら、天にあるまことの富も任せてもらえたのです。
両方を手にしようとしても出来ません。
ですから、まず、神の国と神の義を求めていくべきなのです。
地上で一番大事なのは、何が何でも天の御国に入ろうとする事です。
不正の管理人は、そうして備えようとしたのです。
C 私たちは、創造主を否定したテンプルトンについて学びました。彼の一番の問題点は、
自分は罪人であることを自覚していなかったことです。ですから、社会にある苦しみや不条理を
神の責任とし、その結果「神はいない。」と否定したのです。自分の罪が分かったら、神の前に
へりくだり、何が何でも救いを求めたはずです。そして、神の国を手にしたら、残りの生涯を
主のために使い尽くしたいと願うはずです。私達の教会は、今まさに働きが始められて
きました。ですからこの時、何が何でも賜物を頂いて、力強く伝道していきたいと思うのです。
そのためには、なりふり構わずに、何が何でも、賜物を頂いて、一生懸命に神の国のために
働いていきたいと、強い心を持っていきましょう。 |