@ 今朝は、自由意志を用いて「言いつけ通りにしていきます。」と決心し、その中に入る
ことが「砕かれた心」であり、信仰が増していく秘訣であることを学びたいと思います。
A さて、イエス様は使徒たちに言われました。
「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に
植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。」と。『根こそぎ海の中に植われ』
―これは宣言であり、命令ですから、このように命じればそのようになる、ということです。
イエス様は、そのようになさいました。同じように、「あなた方も、からし種ほどの信仰が
あればそのようになるのだ。」と言われているのです。
B では、「からし種ほどの信仰」について考えてみましょう。
からし種は、ほんの小さな種であり、こんな小さいだけの信仰で、何ができるのかな〜と
思ってしまいます。しかし、そのヒントは、18章17節の御言にあります。
ここでイエス様は、「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、
入ることは出来ません。」と。子どもは親の保護の下にあり、何の力もない者です。
だがここで、共通する点があるのです。それは、「言いつけられたとおりにする。」という
点です。桑の木は、命じれば言いつけどおりになります。子どもも、親に言われたら、
言いつけどおりにするからです。
さらに主は言われました。「自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、
『私たちは役に立たない僕です。為すべき事をしただけです。』と言いなさい。」と。
即ち、私達もこの僕のように、言いつけられたことをそのまますることを実践していくならば、
桑の木に命じたことは、その通りになるのです。なぜでしょうか?
それは、言いつけられたことを行う人は、自分も「言いつけたとおりになる」と信じ切れる
からです。ですから、言いつけられたことを、その通りして行くこの砕かれた心を学び、
身につけていくことは、力強い信仰を身につけていくことになるのです。
今私たちに求められているのは、『言いつけられた通りにする。』という心を、心の中に入れる
ことです。即ち、私達の側でも、自分の自由意志を100%用いて、「言いつけられたとおりに
して行きます。」と決めて、その中に入って行く事です。ここで勘違いしてはならない事は、
「入って行く事と、その通りやって行こう、とすることとは違う。」ということです。
なぜなら、入った人は、たとい出来ないと思うようなことでもやっていきます。
ところが、やっていこうとしている人は、出来ることはやっても、出来ないことはやろうと
しないのです。
だから、「言いつけどおりにする」ということは、その中に入らなければ始まりません。
それは奴隷となることではありません。自分の自由意志を用いてすることだからです。
しかし、人間はそれを一番嫌います。
しかし、その中に飛び込んでこそ、第一歩が始まるのです。
ザアカイは、100%イエス様の懐に飛び込みました。ですから、自分の財産が無くなるかも
知れないと思われる決心を、躊躇なくすることが出来たのです。
この入るという第一歩こそ、からし種の信仰への第一歩なのです。
C 私たちの教会は、「聖書に書いてあることは、今日も起こる。」ことを証ししていきたいと
思っています。ですから、そのことを私たちが実際に味わわなければ、言葉だけになって
しまいます。そのためには、「言いつけ通りにする」という砕かれた心を身につけなければ
なりません。そうすれば、主の言葉通り、言いつければその通りになると言う力強い
クリスチャンとなって、信仰は増していくでしょう。 |