状況証拠とは、間接的証拠の積み重ねによって事実を証明する方法です。
それに引き替え、目撃証言は、直接的証拠と呼ばれ、通常、大変有効な証拠となるものです。
しかし、時には、偏見に基づいた曖昧な証言がされたり、まったくの作り話ということもあります。
しかし、状況証拠は、いろいろな状況を考慮しつつ、積み重ねによって事実を明らかにするもので、
注意深い調査がその土台となります。聖書の信憑性も、この方法が用いられ
ます。
第一の状況証拠は、弟子たちの死です。
当時、イエスを神の子メシアと信じていた弟子たちも主の十字架の死によって、絶望の淵に投げ
込まれました。それは、十字架にかけられた者は、神に呪われた者と考えられていたからです。
ですから、イエスの死によって救い主という信仰も消えてしまったのです。
ところが、イエスの甦った姿を見た彼らは、その一生をキリストの復活を証しする証人として、
命を懸けていきました。中には、石打ちの刑にされたり、逆さ十字架にかけられたりして
大変残酷な拷問を受けて死んで行った者もいます。彼らが、自分の死をもいとわず語り続けたと
いう状況は、「彼らが復活したイエスを見たから」というのが筋の通った話しでしょう。
イエスの復活は、弟子たちにとって神の子の証しであり、イエスの死は、罪の贖いによる救いの
根拠となったからです。
もし信仰が間違っていると分かれば、誰も進んで死ぬことはないとうことです。
これこそが、第一の状況証拠となるものです。
第二に、イエスのことを全く信じていない反キリストの側にいた人々が、180度転換し、
自分の意見や価値観を変えたということです。
そのようなユダヤ人は、当時一万人以上いました。
特にイエスの弟、ヤコブやユダは、自分の兄を気が狂ったと見ていたのです。
しかし、キリストの復活を見た後、彼らは、エルサレム教会の指導者になっていきました。
又パウロは、イエスをユダヤ教の伝統を汚す、呪われた者と考えていました。しかし、その彼が、
復活したキリストに出合ったことを通して、モーセの律法に従うことは極めて重要なことと
考えていた価値観を180度転換したのです。それはキリストによって律法は廃止されたと
考えたからです。そして、これまで迫害してきたキリスト教徒の教えを、命を懸けて宣べ伝えて
いったのです。これこそ、第二の重要な状況証拠として取り上げられます。
(来週は、3つの証拠を取り上げます。)
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