『主を信頼し、我を砕いていく』
ヘブル書2章1〜3a、13章20、21節
@ 今朝は、ヘブル書の書かれた目的と、その中心的メッセージを見ていきたいと思います。
A さて、この手紙は、パウロがユダヤ人(ヘブル人)クリスチャンたちに対して書き送った
ものです。その目的は2章3節にあるように、「こんなすばらしい救いをないがしろにした場合、
(処罰)をどうして逃れることが出来ましょう。」と書き送る必要が起こってきたからです。
特にユダヤ人クリスチャンたちの中に、聖霊に預かる者となったにも関わらず、律法の儀式に戻って
いく者が起こり、キリストの救いをないがしろにして、集まりを止めようとしていたからです。
また、彼らは、世の楽しみに向かい、恵みの御霊を侮り、ことさらに罪を犯し続ける人々が
いたのです。
B では、彼らに対する警告について見ていきましょう。
先ず2章1〜3節では、「こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、どうして処罰を
のがれることが出来ましょう。」。又6章4〜8節では、「一度光を受けて天からの賜物の味を
知り、聖霊にあずかる者となり、・・・しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い
改めに立ち返らせることは出来ません。」。
さらに10章26〜31節では、「真理の知識を受けて後に堕落し、契約の血を汚れたものと
みなし、恵の御霊を侮るものは、重い処罰に値する。」と言われています。
ですから、聞いたこと「御子は私たちの罪のきよめを成し遂げて、天の御座に着いておられる方」で
あることを、益々しっかり心に留めて、押し流されないようにしなさい、と勧めています。
もし私たちが不従順になって救いをないがしろにした場合、何によって罪の解決が出来ましょう。
ですから、「不信仰になって生ける神から離れないように気をつけるように」と
言われているのです。エジプトから出てきた人々の中には、不信仰と不従順の故にカナンの安息に
入れなかった人たちがいました。彼らは目の前に立ちはだかる巨人を前にして、不信仰になって心を
かたくなにしたからです。それが神の御怒りとなり、カナンに入ることが出来ませんでした。
これは私たちクリスチャンも語られている教訓です。
「主の御声を聞きながら、心をかたくなにして、御怒りを引き起こしてはいけない。」、という
教訓です。私たちは、キリストが治めてくださる神の家ですから、
私たちを治めてくださるイエス様に対して、確信と希望を最後まで持ち続けていくのです。
アブラハムも忍耐の末に約束のものを頂きました。もし忍耐できなくなって不満を言ったり、
むかついて反抗したり、また不従順になったりするなら、それは、私たちが主の上に立っている
ことです。イエス・キリストは全世界の支配者です。この方に反抗して私たちに幸いはありません。
ですから私たちは考え方を変えねばなりません。主を信頼し、我を砕いていくことがなければ
幸いはないと。その道を歩んでこそ、主に対して完全な者(13:21)となり、主からの幸いを
頂くのです。
C 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしては
ならない。」。私たちは、天の召しに預かっている聖徒と言われています。そしてイエス様は、
指導者であり大牧者です。私たちは小羊として、従順にその後についていきましょう。
これだけは従いたくないという我を、あえて自分の意志で折って、信仰と従順の中に歩み、
完全な者となっていきましょう。 |
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