聖書は宇宙の起源について、適切な説明を与えています。
それは「初めに、創造主が天と地を創造した。」とあり、「今までに存在しなかったものを
存在させた。」というヘブル語のバラーを用いて、宇宙の「初めに」創り主が「何もないところ
に物を置かれた」という宇宙の起源を説明しています。この書は、モーセの著作ですので、
今から3000年以上前の記録です。なのに色あせず、科学の進歩によって宇宙の法則が
発見されてくると、まさにこのとおりだと分ってきたのです。例えば、熱力学の法則によれば、
「利用できるエネルギーと利用できなくなったエネルギーの総和は一定である」ことから、
エネルギーは途中で増えてくることはありませんので、必ず、初めのエネルギーを存在させた
何らかの偉大な力が外部からあったことになります。ということは、進化論では、この外部の
働きを認めませんので、最初のエネルギーがどうしてあったのかという原因を説明できず、
「ただ、たまたま原因もなく偶然にあった。」としか言えないのです。
このように、物がたまたま偶然に存在したのでは、物の起源を説明できず、又秩序立てていく
力が何なのかを説明できません。自然に理性があるかのように説明する進化論は、単なる
あら
無知な宗教としか言えないのです。しかし、聖書は「人に理解できないことを神が顕わした
啓示の書」として、その情報の発信者が創造主であることを伝えています。私たちは、物さえ
だま
あれば偶然に何でも出来るという考えに騙されていないでしょうか? 法則は、無秩序の中では
生まれません。知性を持つ人格者が宇宙の起源であれば、すべての事に秩序と目的が、存在する
ことを納得できるのです。
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