『救いの確信』
エペソ2章1節〜10節
@ 今朝は、「愛、あわれみ、恵み、救い、贈り物(賜物)、信仰」について考え、救いの
確信について学びたいと思います。
A さて、パウロは一章で、創造主がキリストに在って罪から救い、永遠に買い戻すために
なされた全ての素晴しい事柄について教えています。それから2章1節で「あなたがたは・・
・」と、「愛、あわれみ、恵み、救い、贈り物(賜物)、信仰」というシンプルな言葉を
使って励まし、救いの確かさについて語っています。
B では、二章から見てみましょう。パウロはエペソの人々に、「あなたがたはかつて世の
考え、価値観、世界観に従って歩んでいた」と教えています。それは非常に悪く、不道徳で、
偶像に従っていたのです。しかしもっと深い問題がありました。それは、生まれながらの
罪の問題です。自分の肉の欲の中に生き、その欲望と考えに従っているという、実に、
「生まれながらに御怒りを受けるべき子ら」であり、望みの無い者だったのです。しかし
神は、そんな私たちに愛を示して下さいました。どのようにして?それは、あわれみによって
です。そのあわれみによって、御怒りをとどめられ、その代わりに全ての御怒りを、御子
イエス・キリストに負わせました。御子が私たちの罪を負ってくださる事を通して、神は
私たちを如何に愛し、あわれんで下さっているかを示されたのです。これは恵みです。恵み
とは、私たちが受けることも持つこともできないはずの神の愛の贈り物です。パウロは、
恵みによって神は3つの素晴しいことをされたと言っています。一つは、神が私たちを
キリストに在って、永遠の命に生きる者としたこと。2つ目は、罪から救ってくださった
こと。これは、神が私たちを罪と呪いから救うために全ての必要なことをして下さったこと
を意味します。キリストが私たちの罪と神のみ怒りの全てをその身に受けて死んでくだ
さったので、私たちは罪と死から救われ、永遠に神の子どもとされたのです。ですから
私たちは、罪の負い目無しに主を愛し、主のために生き、喜びを持って仕えることが出来る
のです。3つ目は、神は私たちに、実を結ばせる人生を用意して下さっているということ
です。私たちの目的は、私たち自身の喜びのためではなく、創造主、救い主に栄光を表す
ことです。神が私たちを救い、子として下さったのは神の栄光のためなのです。それでは、
どのようにして神からこの愛、あわれみ、恵みの救いを受けることが出来るのでしょうか?
その答えは、神のみが与えることの出来る贈り物です(二章8,9節)。神は言われます。
「ここにわたしの贈り物がある。さあ、開けてみなさい。」。どうやって?信仰によって
救いの贈り物を開けるのです。信仰とは、神があなたになされたその約束を、受け取り、
信じ信頼することです。信仰によって開けましょう。
C 愛、あわれみ、恵み、救い、贈り物、そして信仰。これらは私たちの心と魂に必要な
ものであり、私たちの創造主が救い主であるということを確信させます。 |
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