@ 今朝は、「良い行いをするために、キリスト・イエスにあって造られた。」ということに
ついて考え、学びたいと思います。
A さて、パウロは語っています。「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリ
スト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをも
あらかじめ備えてくださったのです。」と。では、「良い行い」とはどんな行いのことを言って
いるのでしょうか。律法的な正しい行いのことでしょうか。もしそうだとしたなら、「救いは、
行いによるのではありません。」と言われていることと、ズレが起こってきます。ですから、
律法的な意味で言われているのではないことが分かります。
B では、原典の言葉の意味をひも解きながら、この御言にある主の御心について考えてみま
しょう。まず、「神の作品」とありますが、原典では「被造物」と表現されており、作品という
言葉はありません。被造物とは、創造された神に100%主権があるということです。ですから、
良い行いとは、「創り主に対する良い行い」を意味しているのです。また、ギリシャ語の「良い」
には、「有能な、優良な、幸福な」という意味があり、「行い」は、「仕事、労働」の意味があり
ます。これらのことから、私たちは、創造主に対して「優良な仕事をしていく」という目的で
造られた、ということが分かります。しかもその優良な仕事は、「あらかじめ備えてくださって
いる。」と言われています。ですから私たちは、主が用意して下さっている「優良な働き・仕事」
を、させていただくのです。そうすれば主は、喜んで天に迎え入れて下さるのです。では「優良な
仕事」とは何でしょうか。この地上に立派な家を建てることでしょうか。確かに、サラリーマンに
とって家を建てることは、努力して働いてきたことの功績の表れとも言えるでしょう。
しかしそれは、自分自身のためであり、自分自身の功績、また誇りですから、主が備えて下さった
良い行いとは言えません。主が備えて下さっているものは、どこまでも主のためであり、主が主人公
ですので、主が満足されるものでなければ成りません。私たちは被造物にすぎないのです。故に、
「私たちを造られた方を証ししていく」のが私たちの良い仕事なのです。私たちの教会のバイブル
ランド構想は、私たち自身の証のためではありません。創造主が全てのものを造られ、今日も
生きておられる事と、甦られた御子キリストを証しするために造り上げていくものです。それは、
営業によって維持していくのではなく、信仰によって維持していきたいと願っています。主があら
かじめ備えて下さった「優良な仕事」を、主のために、主の御心にそって成し遂げていきたいから
です。
C 私たちは、裸で生まれ裸で天に帰ります。ですから、この地上でお金が与えられても、それが
天国行きの切符ではありません。お金は主を証しするための道具に過ぎず、お金で自分を守って
いくものではないのです。お金は神の御心を行うための道具であり、必要ならば、主は惜しげも
なく揺すり入れて下さいます。私たちは創り主を証しするために造られました。ですから、心配
せずに、「創り主にとって優良な仕事」のために、有能な労働者となって働こうではありませんか。
私たちの住まいは天にあり、イエス様がすでに天に用意してくださっているのですから。 |