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2008年12月14日







『創り主にとって優良な仕事』






エペソ2章10節








@ 朝は、「良い行いをするために、キリスト・イエスにあって造られた。」ということに

ついて考え、学びたい
と思います。


A さて、パウロは語っています。「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリ

スト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをも

あらかじめ備えてくださったのです。」と。では、「良い行い」とはどんな行いのことを言って

いるのでしょうか。律法的な正しい行いのことでしょうか。もしそうだとしたなら、「救いは、

行いによるのではありません。」と言われていることと、ズレが起こってきます。ですから、

律法的な意味で言われているのではないことが分かります。


B では、原典の言葉の意味をひも解きながら、この御言にある主の御心について考えてみま

しょう。まず、「神の作品」とありますが、原典では「被造物」と表現されており、作品という

言葉はありません。被造物とは、創造された神に100%主権があるということです。ですから、

良い行いとは、「創り主に対する良い行い」を意味しているのです。また、ギリシャ語の「良い」

には、「有能な、優良な、幸福な」という意味があり、「行い」は、「仕事、労働」の意味があり

ます。これらのことから、私たちは、創造主に対して「優良な仕事をしていく」という目的で

造られた、ということが分かります。しかもその優良な仕事は、「あらかじめ備えてくださって

いる。」と言われています。ですから私たちは、主が用意して下さっている「優良な働き・仕事」

を、させていただくのです。そうすれば主は、喜んで天に迎え入れて下さるのです。では「優良な

仕事」とは何でしょうか。この地上に立派な家を建てることでしょうか。確かに、サラリーマンに

とって家を建てることは、努力して働いてきたことの功績の表れとも言えるでしょう。

しかしそれは、自分自身のためであり、自分自身の功績、また誇りですから、主が備えて下さった

良い行いとは言えません。主が備えて下さっているものは、どこまでも主のためであり、主が主人公

ですので、主が満足されるものでなければ成りません。私たちは被造物にすぎないのです。故に、

「私たちを造られた方を証ししていく」のが私たちの良い仕事なのです。私たちの教会のバイブル

ランド構想は、私たち自身の証のためではありません。創造主が全てのものを造られ、今日も

生きておられる事と、甦られた御子キリストを証しするために造り上げていくものです。それは、

営業によって維持していくのではなく、信仰によって維持していきたいと願っています。主があら

かじめ備えて下さった「優良な仕事」を、主のために、主の御心にそって成し遂げていきたいから

です。

C 私たちは、裸で生まれ裸で天に帰ります。ですから、この地上でお金が与えられても、それが

天国行きの切符ではありません。お金は主を証しするための道具に過ぎず、お金で自分を守って

いくものではないのです。お金は神の御心を行うための道具であり、必要ならば、主は惜しげも

なく揺すり入れて下さいます。
私たちは創り主を証しするために造られました。ですから、心配

せずに、「創り主にとって優良な仕事」のために、有能な労働者となって働こうではありませんか。

私たちの住まいは天にあり、イエス様がすでに天に用意してくださっているのですから。




    


                                        

  
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