『何はともあれ』
ルカ12章13節〜34節
@ 今朝は、31節の御言−「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。
そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」−をテーマにして学びたいと
思います。
A さて、「なにはともあれ、神の国を求める。」という生き方こそ、クリスチャンの
生き方です。ですから、この御言を信じ、心の中心に据え付け、この生き方をいつも実践
して行くべきです。
B では、それは具体的にどのような生き方であるのか考えてみましょう。
この青年は、遺産相続の件でイエス様の仲介を求めてきました。それは、イエス様の心を
逆なでするものです。というのは、イエス様は「体を殺しても、それ以上何も出来ない
人間を恐れるのではなく、殺した後でゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れな
さい。」と言っておられるからです。この青年の関心事は天にある永遠の命ではなく、この
世の打算にありました。ですから、彼は自分の命は自分のもの、財産も自分のものだと
思っていたのです。しかし主は言われます。「命は財産にあるのではない。今夜あなたの
命が取られたら、その財産は誰のものになるのか。」と。だから・・・と続けて、弟子たち
に言われました。「命のことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようか
と心配したりするのはやめなさい。・・・“何はともあれ”あなたがたは、神の国を求めな
さい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」と。この生き方は、
自分の損得勘定や打算によって生きるものではありません。また、自分の思う通り自分の
力で生きて行こうとするものでもありません。むしろ、自分の思いを退け、ただ主に信頼し、
主の御手に任せる生き方です。私たちの教会は、あえてこの道を求め、そこに身を置いた
教会です。私たちの命も信仰もすべて、創造主によって与えられたものだからです。打算的
にどうにか出来るものではありません。とは言っても、人間の肉の性質は打算的ですから、
直ぐにその意識は働きます。しかし、イザとなったとき選択する道は、打算を捨てた、
「何はともあれ・・・」の生き方です。主は、私たちの必要を知っておられ、必要に応じて
与えてくださいます。だから、与えられたものは、握ってしまわず賢く使えるように祈って
用いるべきです。この心で生きていくことが、シンプルな信仰につながってくるのです。
C 今、変異した鳥インフルエンザの流行が懸念され、必ず起こって来る出来事として、
マスコミにも取り上げられています。私たちの知らないうちに患難時代に入ってきているの
です。だからこそ、私たちは目を覚まし堅く信仰に立つべきです。その時が来ると、あら
ゆるところに分裂や裏切りが起こってきます。その時、「なにはともあれ・・・」という
心を持っているなら、試みに打ち勝つことが出来るでしょう。そして、キリストの平和が
私たちの心を覆うでしょう。ですから、「何はともあれ」の心を具体的に現していきま
しょう。 |
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