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2007年 NO.197



『自然観測結果』



  科学は創造主を取り扱ってはならない、と言われています。

しかし、この世界を観察していく時、形あるものが種類に従って完成された状態で存在して

いる現象を、創造主ありの観点から見るのか、あるいは創造主なしという観点から見るのか、

どちらが理にかなっているのかを考えるのは、非科学的ではないと思います。

 例えば、桜は、今年も桜の花を咲かせました。それは何故でしょうか?

桜が、昨年は梅で、今年は桜になったということはありません。又桜の花の種は、どこに蒔い

ても、桜の花を咲かせます。しかも、ちゃんと子孫を残す能力を初めから備えています。

それは偶然の結果でしょうか? 創造主なしの進化論の考え方では、「桜は、長い時間を

かけて偶然に桜になった。」と言います。この長い時間をかけて、偶然が重なって完成する

ということは、この世界の自然観測では、馴染みません。なぜなら、この世界の中では、

秩序は自然法則の中では増加しません。むしろ、「時間と共に秩序は崩壊する。」という

エントロピーの法則に、進化論は反するからです。もし、偶然によって何かが出来ても、

次の偶然で秩序は壊れます。ですから、偶然から始まる進化では、形あるものが完成される

ことはあり得ないのです。むしろこの世界に、形あるものが種類に従って、完成された状態で

存在するということは、創造主の超自然の力と計画によってデザインされ保持されていると

考える方が、自然観察に馴染むのです。すると進化論は、自然法則に反することになります。


この世界は、創造主の手によってデザインされているのなら、創造主の心を心として、

創造主に対して責任を果たすのが人生の目的ではないでしょうか。



                   
              



     
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