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2007年8月5日





 『自分のためでなく、キリストのために』



使徒5章1節〜11節



@ 今朝は、アナニヤとサッピラの失敗を通して、「もはや自分のためではなく、キリストの

ために生きていくこと」について
学びたいと思います。

A さて、初代教会では、キリストを信じた者たちは、自分達の財産を使徒たちの前に差し出し、

お互いに助け合っていました。それは、救われた者たちにとって、もはや自分のために生きて

行かなくてもいいと思ったからです。彼らは、地上の損得計算ではなく、キリストのために

生きて行きたいと考えました。ところが、アナニヤとサッピラは、「失いたくないものは、

失いたくない。」と考えて、代金の一部を残して置き、全てであるかのように見せかけたの

です。それは、神を欺く行為で、彼らに神の裁きが起りました。

B では、彼らの根本的な間違いはどこにあったのでしょうか考えてみましょう。

先ず、彼らは、自分の持ち物を売った代金を持っていくことによって、「自分たちも全面的に

主に従っていこうとしている。」と、その心を表そうとしました。ところが、代金を手にした

とき、失いたくないと考えて表面上をつくろおうとしたのです。ところが、それはもともと彼ら

のものであり、自分たちのために使ってもよかったものです。しかし、正直に言えず使徒を

欺いたのです。ところが、それは、創造主を欺き、聖霊を試みることだったのです。

そこで彼らは、主によってすぐに命を取られました。主は、初代教会に、この罪のパン種を

入れたくなかったからです。それは、私たちの教会にとっても同じことです。偽りや騙しが

あっては主の御業が表されません。それは、キリストのために生きていくことが第一で、

自分のことは二の次だと悟った教会だからです。しかしながら、もし道から反れてしまった場合

でも、その罪を認めて、自らを罪に定めてその責任を取っていくならば元に戻れるのです。

そして、主を第一にしていくのだという心を取り戻すことが出来るのです。アブラハムが、

イサクを捧げると決心し行動を取ったとき、主は、もともとあなたのものだから自由にしても

いいよ、とイサクを返してくださったのです。私たちも、主からいろいろなものを頂きます。

そして、それらを感謝して受けたなら、手に握ってしまうのではなく、自分にとっては、

それよりも主が大事であるという心から離れないことです。そうすれば、アナニヤとサッピラの

ように、二心となることはないからです。

C パウロは、本当の信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないと言い

ました。確かに、信頼されて会計をしていたユダが、最後には主を裏切ってしまいました。

何故ですか?主のお言葉に対して肉で反応し、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが

聞いておられようか。」と、ひねくれた心に立ったからです。これは私たちの心にもあるもの

です。
ですから、いつも御霊で反応しないと、イエス様の言われている意味が理解できなくなり

ます。私たちも、アナニヤとサッピラのような反応は罪であることをはっきりと認め、自分の

ためではなく、キリストのために生きて行こうではありませんか。







    


                                        

  
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