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2007年7月29日





     『自分の意志を主のために働かせて』



ヨハネ2章1節〜11節



@ 今朝は、イエス様がなさった水をぶどう酒にする奇蹟から主の御心を学び、これまでの

取り扱いで学んできたものが何んであったのかを考えたい
と思います。

A さて、イエス様は、カナの婚礼に招かれて出かけられました。そして、婚宴の席で、水を

ぶどう酒にされ、結婚式を祝福されたのです。しかもそれは、非常に良いぶどう酒でした。

イエス様は、慶びの場で良いぶどう酒を振舞われ、メシヤとしての証をされました。

ところが、クリスチャンには、“酒=罪”という意識が染み付いています。しかし、ぶどう酒は、

旧約時代にも造られ、飲まれていました。(詩篇104篇14〜15)「ですからイエス様も

自由な心を持っておられました。又パウロは、「酒に酔うな。むしろ御霊に満たされなさい。」

といい、酒に酔うより、御霊に酔ったほうが良いんだという事を教えています。ということは、

飲む飲まないが問題なのではなく、用い方にあるということです。肉的に用いれば、結果的に

罪となりますが、創造主が造られたものを慎みを持って用いていくなら益となるのです。

ですから、私たちの意志の決断にかかっているのです。

B では、意志の決断について考えてみましょう。私たちの信仰生活の中で、自分の意志に

よって決断していくことが、大きなウエイトを占めています。ところが、私たちは皆意志の

弱さを持っています。だからといってそれで逃れるわけにはいきません。そこで、決断の判断

基準をどこに置くかが大事になってきます。イエス・キリストを信じる前は、先ず自分の損得で

意思を働かせ、判断するのが当たり前の世界でした。しかし、イエス・キリストを信じてからは、

永遠の命を頂いたのだから、イエス様のために生きていこうと第一歩が始まったのです。

(Uコリント5章15節)。それは、自分のためではなく、キリストに心を集中していく生き方

です。イエス様は、その生き方に、自分の意志で行うようにと願っておられるのです。

あのアブラハムも、そのことを試されました。やっと与えられた跡取りの一人息子を捧げる

ように言われたのです。アブラハムが「それだけは出来ない・・・」と思っても、自分の意志で、

主に聞き従う決断をするかどうかを主はみられたのです。これは、従う者にとっては重要な

要素であるからです。この訓練を、私たちの教会も受けてきました。それは、捨て身でイエス様

のために生きていく信仰を自分の意志で持ち、堅く信仰に立って悪魔を退け、不動の者とされて

いくためです。それがなければ、反キリストに飲み込まれてしまうからです。


C 私たちは、イエス・キリストに集中して生きていきたい。これを妨げるものを自分の意志で

自制し、ワガママを断ち切り、主に従う柔らかい心を働かせていきたい。そして、ただ、

人々に創造主からの評価だけを求めていく生き方を、「これでいいんだ。」と証ししていきたい。

このように「死ぬときが来るまで生きる」、という人生を一生懸命にやっていこうではありま

せんか。私たちには、永遠の命があるのですから、自分の意志を主のために働かせていきたいと

思います。
                       





    


                                        

  
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