試練がやって来たとき、私たちは、命の創り主に信頼せず、自分自身や友人、状況などに頼ろう
としがちです。どういうわけか、クリスチャンはただ創り主を見上げて助けを待つよりは、自分で
試練からの脱出のために働きたくなるのです。ところが、創り主の助けを忍耐強く待ち望むことを
せずに、自分で脱出のために働くなら、次の試練でも自分で脱出のために働こうとしてしまいま
す。そうやって同じことをくり返すたびに信仰は弱まっていくのです。
しかし、その反対に、堅く立って創り主のみに信頼し、創り主の助けの御手がのばされるのを
見るなら、信仰は増すのです。 (ジョージ・ミュラーより)
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