もともと、仏陀の教えた仏教は、無神論でした。釈迦(悟りを開いてから仏陀と呼ばれる。
ぼんのう
それは目覚めた人という意味)は、現世に於て煩悩(心を悩ませる迷いの念)や欲念執着
(欲に捕われる心)を修行によって断ち切り、世に捕われない無我の境地(我が無くなった
のではなく、世の何ものにもとらわれなくなった無欲の境地)に入ることを教えたのです。
ですから根本仏教は宗教ではなく、現世の生き方を説く哲学でした。ところが、仏陀の死後、
キリスト教がインドに入り、キリスト教を真似た仏教が起こり、釈迦を久遠実成の釈迦牟尼仏
(永遠の昔から仏として存在していた者)として信仰の対象にし、死後に希望を抱かせる宗教
としたのです。
そくしんじょうぶつ
ですから、仏陀は、もともと死後のことについては触れず、即身成仏の世界を説いたのです。
そこには、人間の根本的な罪の解決はなく、死後のさばきの解決もありませんでした。なぜなら、
永遠の祝福に入るためには、罪の代価が支払われているかどうかが問題です。
それは、命を下さった方に対する責任があるからです。自分の悟りだけでは、片手落ちです。
ですから、人が救われるかどうかは、罪の代価が支払われているかどうかで決まります。
償いのないところには救いはありません。それをして下さったのは、イエスキリストです。
仏陀は、人の身代りとなったのではありませんでした。ですから、イエスキリスト以外に救い
はないのです。
|
|