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2004年4月18日 |
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「イエス様の求めに答える心」 |
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マルコ6章30〜44節 |
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@ 今朝は、「あなた方で、何か食べ物を与えなさい。」と言われた主の御言の真意を学びたいと 思います。 A さて、イエス様のことばを聞くために集まってきた多くの群衆に、主はいろいろと教えられま した。そのうち時刻も遅くなってきたので、弟子たちは、「みんなを解散させ、めいめいで食べる物を 買うようにさせてください。」と、イエス様に頼みました。するとイエス様は弟子たちに言われたの です。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」と。群衆は、男だけで五千人、女や 子どもを合わせたら二万人はいたでしょう。パンを一つずつ配ったとしても、二百万円では足りませ ん。しかもそこはへんぴな所で、それだけのパンを手に入れることは不可能です。イエス様はその 状況を全てご存知の上で、弟子たちに言われたのです。言うまでもなくイエス様は初めから、ご自分 で群衆の空腹を満たそうと考えておられたのです。 B では、何故あえてこのように言われたのでしょうか。 それは弟子たちが、不可能と思える状況の中で、どのように答えてくるのかを、見たかったのです。 ところが弟子たちは、「そんなこと不可能です。出来ません。」という心を表したのです。 確かに、常識的に考えれば不可能でしょう。しかしそれは、イエス様の意図を理解できなかった悲し い返答です。もし心があり、イエス様のお心について考えたなら、「何か食べ物を与えたい。」と言わ れたことばに心を留め、結果を出すためにいろいろ考えたのではないでしょうか。その結果、「やっぱ りイエス様にお願いするしかない。イエス様ならお出来になるはずだから。」と思えば、お願いしたで しょう。彼らは今まで、多くの奇蹟の業を見てきたのですから。 この二つの違いはどこにあるのでしょうか。心の無い人は、「あなたがたで」に心を留め、「出来な い」、と思うとそれ以上何も考えようとしないのです。しかし、心のある人は、「何か食べ物を与えな さい」に心を留めるでしょう。そして、そのためにはどうしたらよいかを前向きに考えます。 このことは、私たちの奉仕にも言える事です。「心の無い人は」、頼まれたことに対して形だけはや ります。しかし、それ以上はやりません。「自分には出来ないからしょうがない」と自分を守りま す。しかし、「心のある人は」、主の求めに答えて行きたいと思い、たとい不可能に思えることで うな も投げ出さず、神様に聞いて考え、「そこまでやるのか」と唸らせるような結果を持って来るので す。それは、イエス様の求めに答えて行きたいという愛があるからです。この、結果を出すために 心を遣い一生懸命やることこそ、イエス様が求めておられた心なのです。 C 私たちの教会は、信仰によって諦めずに前に向かって行こうとしている教会です。それは、神の 御言に心を開き、どこまでも信頼し、へりくだった心をもって、「そこまでするのか」と言われる ほどに一生懸命やっていきたいと願っているからです。ですから、私たちに必要な心は、キリストの 求めにどこまでも答えていこうとする愛です。この心を働かして行きましょう。 |
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