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2004年4月25日 |
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「心を変えて主に従う」 |
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マルコ10章17〜27節 |
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@ 今朝は、「永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょう か。」と言って尋ねてきた青年の姿から、神の前に生きる者のあり方について学びたいと思います。 A さて、この青年が「何をしたらよいのか。」と尋ねてきた問題点は、永遠のいのちを自分の努力に よって得ようとしているという事です。そこでイエス様は、この青年に対し、「それは違う」と教え さと ようとして、戒めを守るように諭されました。ところが彼は、それらはみな小さい時から守っている と答えたのです。もしそうだとしたら、彼は完璧な行為を行なっていることになり、自分には罪は ないと言い切ったことになります。そこでイエス様は、彼に欠けたことが一つあると、こう言われた のです。「あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に 宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」と。これは、罪人である彼自身の 本質をえぐることばでした。彼には多くの財産があり、それにしがみつこうとする心があったからで す。もし永遠のいのちを得るために「何でもします」と言うなら、全財産を捨ててでも、「その通 りします。」と表明したはずです。しかし彼は、顔を曇らせ悲しみながら去って行ったのです。 B では、彼はなぜ心を変えて主に従うことが出来なかったのでしょうか。 結論から言うなら、彼は自分に対して生きている人だったからです。それは、自分の都合や自分勝手 な判断の中だけで、生きていたからです。彼が戒めを守っていると言っても、自分の思い込みであっ て、人の目から見たら、戒めをみな守っているとは言えないはずです。まして、絶対者の前に生き たいと思ったのなら、見せかけの正しさでは通用しないと分かったはずです。ところが、彼は 「守っている」と言い張ったのです。ここに彼の罪がありました。自分の考えの中でだけ生きていた からです。彼は心を変える必要がありました。そこでイエス様は、「金持ちが神の国に入るよりは、 らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」と言われたのです。裕福な人は、お金があるので 欲しいものは何でも手に入れることが出来ます。ですから、心を変えなくても、自分の我を通して 自分の思い通りに生きていけます。しかし、人が神の前に生きようとするなら、心を変えねばなりま せん。自分が罪人であることを自覚して、悔い改めなければ神に近づく事は出来ないからです。 心を変えるとは、自分自身の言い分や都合に立たず、神様の側に立って考える事です。自分で全てを 理解したら心を変える、というのではありません。 C 私たちは、「我が強く、わがままな者だから心を変える事は出来ない。」と言わないでくださ い。イエス様は、「人には出来ないが、神にはどんなことでも出来る。」と言われたのです。ですから、 もし私たちが、心を変えたいと思うなら、その欠けた部分に触れて下さるイエス様にお願いして下さ い。そうすれば、今までにできなかった「神様の側でものを考える」ということが分るのです。 そして、私たちが前向きな思いで、心をどんどん変えて行こうとするなら、そこに、永遠のいのち の祝福があることが分ってきます。 |
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