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2004年4月11日 |
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「キリストと共に甦る」 |
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ヨハネ黙示録20章1〜6節 |
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よみがえ @ 今日は、イエス様が、「死から三日目に甦られた」ことを記念するイースターです。 そこで、クリスチャンも同じ甦りに預かり、苦しみや労苦に対する報いが与えられる、という幸いを 学びたいと思います。 A さて、私たちは、年を重ねる度に肉体の衰えを感ぜずにはおられません。青年期のように思いっ きりスポーツも出来なくなり、身体がついてこないという悲哀を感じるのです。同じように私たちの むな 人生の労苦も、ただ肉体の衰えと死だけが報いだとしたら、なんと空しいものでしょうか。 確かに、神が存在していなければ、人の労苦や努力の報いはありません。その働きを評価してくださ るお方がいないからです。偶然に生まれ偶然に死んでいくところに報いはないからです。 ところが、黙示録には、苦難の中で神を信じ続けた者たちに対する素晴らしい報いについて記されて つく いるのです。人間を創られた神は、その人の人生に、何の意味も報いもないというような、いい加減 なことはなさらないからです。 B では、私たちは、神の存在をどのようにして知ることが出来るのでしょうか。 まず、全てのものは、完成された状態で創られたのでなければ生存できない、ということです。 人間は、初めから、精密な身体の仕組みを持つ体として創られています。しかも、人が生きていける ように、全ての環境が整えられてから存在させられているのです。その環境も、秩序も巧妙に保たれ ていなければ、存在できないものなのです。進化論者が言うように、もし全てが、長い時間をかけて 偶然に出来たとするなら、この自然界を初め、存在する全ての物が、時間とともに劣化していくと いうエントロピーの法則を否定することになります。進化論の考え方には無理があるのです。 「初めに、神が天と地を創造した。」とあるように、全てのものは、神によって完成されたものとして 創られたのです。そして、私たち人間も、完全な姿に創られたのです。 むな ところが、罪を犯し、その報いは、ただ空しい死だけだとしたら、なんと悲しいことでしょうか? しかし、神はその罪人を救うためにイエス・キリストを遣わされました。そしてイエス様は、人間の あがな よみがえ 罪の贖いのために、十字架で苦しみを受けて死なれました。しかし神は、三日目に甦らされたので す。これがイースターです。そして同じように私たちも苦しみの後、たとえ死を経験しても、神様 によって甦えらされ、イエス様とともに生かされる幸いを味わうのです。というのは、この世界の 終りの時に、悪魔によって666の印を持つ支配者が出現し、彼に従わなければ生きていけない状況 に追い込まれ、苦難の中を通り、殺されたりすることがあるからです。しかし私たちは、第一の復活に 預かり、キリストとともに千年の間王となるのです。その時私たちは、「妥協しなくてよかった」、 「神に信頼してよかった」と思うでしょう。そして、神は新しい天と新しい地の中に私たちを住まわ せてくださるのです。 C 神がおられることを信じている私たちは、キリストと共に復活の幸いを味わえるのです。 ですから、主に信頼し、前向きに歩んで行きましょう。 |
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