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2004年3月21日 |
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「勝利を得る者となる」 |
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ヨハネ黙示録2章1〜7節 |
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@ 今朝は、黙示録の7つの教会へ書き送られた手紙の内容から、神様が私たちに願っておられる 御心について学びたいと思います。 A さて、神が7つの教会に語られたメッセージを読む時、これまでは、それぞれの教会に指摘され ている問題点に心を向け、それを自分たちの教会に当てはめて考える、という読み方をしてきま すご した。しかし今回は、この手紙の目的が、もっと凄い所にあることを理解して読んでいきたいと 思います。それは、あらゆる問題を悔い改め、そこから離れて勝利を得ていくなら、神様から約束 された大いなる祝福を、天にて頂けるという事です。即ち、神様が私たちに用意してくださって ともな いるものは、ちっぽけな救いではなく、それは、それは、大いなる祝福の伴った救いで、勝利を すご 得る者に用意されている幸いが、どんなに凄いものかを教えようとして書かれているという事 です。 B では、この勝利を得る者となり、幸いを味わう者となるためには、どのような心で戦って行け ばよいのでしょうか。 まず、“開かれた心”が必要です。イエス様は言われました。『わたしは、戸の外に立ってたたく。 だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼と共に食事を し、彼もわたしと共に食事をする。』と。これは、私たちが罪を指摘され、悔い改めを迫られた時、 心の戸を開いて聞いて行くなら、イエス様が私たちの心に入って来てくださり、幸いを味わせて 下さるという事です。しかし、もし私たちが過ちを指摘されても、直ぐ、弁解して自分をかばおう とするなら、その心は開かれていないということです。その状態では、過ちを認めることも、悔い 改めも出来ませんから、赦されるという幸いな恵みを味わうことも出来ません。しかし自己弁護の 思いを捨て、心を開いて、百パーセント無条件に認めていくなら、直ぐに主の赦しと平安を味わうの わ です。そこにイエス様の愛を感じ、力が沸いてくるのです。こうして、自分をかばうよりも、 しか 「そのまま心を開いてお叱りを受ける方が幸いだ。」ということを味わっていく者が勝利を得る者と いう事です。「勝利を得る者は、父なる神と共に、御座の右に座しておられるイエス様と共につか せよう」と言われています。神様が、悔い改めることをどんなにお喜びになるかが分かります。 イエス様はそのために血を流されたのですから。私たちはこの罪の赦しを頂いているのですから、 とど 自分の弱さに留まってうなだれるのではなく、悔い改めるものは悔い改め、ひたむきな心で主を 信頼していくなら、その時私たちの労苦が無駄ではなかったことを味わい、大いなる幸いを味わう 者となるのです。これが勝利を得る者ということです。 C イエス様の心は、私たちが、「手を抜かないで勝利を得る者となりなさい。」ということです。 上手に逃げて労を惜しむことは、その人にとって損なのです。神様が全ての労を覚えておられるの ですから、私たちは、やる時は一生懸命にやって行きましょう。何でも一生懸命にやることは、 勝利を味わうことにつながるからです。私たちの教会は、勝利を得る教会でありたいと思います。 そこに一丸となって向かって行きましょう。 |
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