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2004年2月22日 |
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「神のご性質にあずかる者」 |
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第Uペテロ1章1〜11節 |
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@ 今朝は、私たちが「神のご性質にあずかる者」となるために、どのように努力をしていくべきかを 学びたいと思います。 A さて、ペテロは言っています。「私たちが神を知ったことによって、尊い素晴らしい約束が私た まぬが ちに与えられました。それは、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるた めです。」と。ですから、神のご性質にあずかるために、「あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には 知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には経験を、経験には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加え なさい。」と勧めています。 確かに、これらを自分の性質に加えていけたら、なんと素晴らしいこと でしょう。しかし、この努力を始める前から、「ダメだ。」と思う心があります。でも、聖書に記されて いる以上、身につけていけるものなのです。また私たちが、「役にたちたい。実を結びたい。」と願う ならば、 なおさら、それらを身につけていく方向に向かって行くべきではないでしょうか。 B では、どのようにして身につけていけばいいのでしょうか。 まず、「あらゆる努力をして・・・」と言われていますから、努力をすべきです。 努力とは、エネルギーを使う事です。私たちは世との関わりの中にありますから、教会から一歩外に 出ると、世の影響を受け、自分が以前の罪からきよめられた者であることを忘れて、周りの人と 調子を合わせてしまいます。これでは福音を語ることも出来ません。 ですから、もし、「役に立ちたい、実を結ぶ者になりたい。」と願うなら、昔の肉のままでいるのではな く、イエス・キリストの流された血によって自分の罪はきよめられているのだ、という原点に 立って、神に心を向け、霊のエネルギーを使っていくべきなのです。この努力を惜しみ、楽をして 行こうと思うなら、神のご性質にあずかることも出来ず、近視眼のものになってしまうのです。 自分の好きなことにはエネルギーを使えるのですから、霊のためにもエネルギーは使えるはずで なま す。ただ、ずるさと、怠け心がそれをさせないようにしているだけです。苦手意識を持たない人は いません。しかし、たとい苦手な事柄であったとしても、恐れ退くのではなく、エネルギーを使って 集中してやっていく時、出来ないと思ったことでも出来るようになり、役に立つ者、実を結ぶ者と なっていくのです。しかしエネルギーを使おうとしないなら、新しい命をいただいた者の幸いを味わ うことはできません。私たちは、努力することによって、「出来なかったことも出来た。」と、 その喜びを味わって行くために召されたのです。 つつし C そこでもう一つ、役に立つ者となっていくために必要なことは、“慎み”です。私たちが、へり つつし くだった慎みの心を持っていく時、人は高貴な心を持ち、人間としての豊かさを感じます。これは肉 からは出て来ません。神に心を向けていく時、はじめて生まれてくるものなのです。 つつし この、慎みの心を失うと、神の栄光ではなく自分の栄光を表そうとしてしまいます。私たちは、 つつし どこまでも慎みの心を持って、自分の弱さに逃げ込まず、信仰によって、前向きに努力して行きま しょう。 |
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