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2004年2月15日 |
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「本当の献身」 |
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ルカ17章7〜10節 |
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@ 今朝は、忠実なしもべについて学び、そこから本当の献身とその心について学びたいと思いま す。 A さて、私たちは、人に対して生きているのではなく、天地万物の創造者に対して生きている者で す。その方は、私たちの内側をご覧になるお方ですから、純粋な動機で仕えていくなら祝福してくだ さるのです。 このことから、私たちの“心”が如何に大切であるかが分かります。 そこでイエス様 は、どのような心を持って仕えていくべきかについてお話になったのです。 B では、どういう心を持って仕えていったらよいのでしょうか。イエス様は言われました。「自分 に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきこと をしただけです。』と言いなさい。」と。 確かに、このしもべの心は、純粋です。そこには、自分の 働きを認めて、評価して欲しいという打算的な肉の計算に捕らわれていないからです。もし、肉の 欲求を満足させようとして行なうなら、神よりも自分の栄光を表すことになります。それは、神の しもべの心とは、相反するものです。そもそも私たちは、自分を現したいと思っても、良いものは 出てきません。私たちは罪の中から生まれ出て来た者であり、生まれながらに欠陥商品です。 たとい外側を着飾っても、内側は身勝手な思いと打算が渦巻いています。また、人前で良く見せよう としても、すぐに化けの皮がはげてしまう者です。ですから、まず自分自身は、欠陥商品であること を自覚してください。そして、イエス様は今そんな私たちに、その生き方と正反対の生き方をする ようにと、勧められるのです。私たちは元々神のしもべであり、 たとい「アレをやった」、「コレ をやった」と言っても、神が整えてくださった環境の中で、ホンの少し手伝っているに過ぎませ ん。種を蒔き、稲を育てたとしても、その土地から芽が吹き出すようにしてくださったのは、神様 です。ですから、私たちはただ、「なすべきことをしたに過ぎません」というだけの者です。 私た ちは、元々欠陥商品であり、なすべきことをしているに過ぎない者として認めていくなら、神ご 自身が結果を出して祝福して下さるのです。このように、しもべである私たちは、 「なすべきこと をしただけです。」という単純な心を持って仕えていくことが、私たちの生き方であり、これこそ クリスチャンのシンプルな本当の献身なのです。 C イエス様は言われました。「忠実な思慮深い管理人とは、誰でしょう。それは、主人の心を知 り、その思い通りに用意するしもべだ。」と。即ちこの神様の心を知って、その願い通りすること こそ、献身の心を持った忠実なしもべの行為なのです。私たちは、犠牲を払うことに臆病になる 必要はありません。全能の神は、私たちの、一挙一動を見て、正しく判断して下さっているからで す。全能の神の力は、このような忠実なしもべに表されていくのですから。 |
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