「彼が目を上げてみると、三人の人が彼に向かって立っていた。
彼は、見るなり、・・・地にひれ伏して礼をした。」 (創18:2)
アブラハムは、御霊によって「神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」
と言われています。それは、アブラハムの信仰の土台には、砕かれた我と、へり下った心があったから
です。
御言に「神は、砕かれて、へり下った人と共に住む。へり下った人の霊を生かし、砕かれた人の心を
生かすためである。」(イザヤ57:15)とあります。アブラハムは主と二人の御使いの前にひれ伏
し、自ら給仕して、最上のもてなしをしました。その彼の心底のもてなしに対し、 主は「わたしが
しようとしていることを、彼に隠しておくべきだろうか。」と言われる程、へり下った心を持ってい
たアブラハムを愛され、受け入れられたのです。この神に受け入れられるへり下りとは、失敗を取り
戻して、自分の格好をつけることではなく、無条件に自分の失敗を認めて、心を砕き、神と人の前に
へり下ることです。神が求められるいけにえは、「砕かれた魂、砕かれた、悔いた心。」です。 神は
決して失敗をしない信者を求めておられるのではないのです。
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