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2003年4月20日

「主は生きておられる」
    第Iコリント15章20、21、50〜58節


@ 今朝は、イエス・キリストの甦りの意味を考えながら、私たちクリスチャンの正しい信仰のあり方

と生き方について、学びたいと思います。


A さて、きょうはイースターです。死んで葬られたイエス様が甦られたという事は、今も生きておら

れるという事です。この甦られたイエス様に出会うまで、弟子たちは、失望と落胆のドン底の中に

いました。彼らは、神の国を実現してくれるメシヤ(キリスト)が、死ぬはずがないと信じていたから
         
ほばく  ちょうろ   はずかし
です。ところが、捕縛され、嘲弄されて辱めを受け、十字架で殺され、葬られてしまったのです。
                             
みじん   
この時、彼らの期待と希望は、メシヤの死によって微塵に砕かれてしまいました。

ところが、死んだはずのイエス様が 甦って彼らの前に現われ、手と脇腹の傷を示されたのです。

そのうえ共に食されて、ご自身が甦られたことを明らかに示されました。この時彼らは、イエス様が

本当のメシヤであると確信しました。死んだ者がいくらメシヤであっても希望を持てません。

しかし、死を打ち破って復活され、生きておられるイエスに出会った時、彼らは真のメシヤに希望を

抱いて、生き始めたのです。そして、その後弟子たちは自分たちの命をかけてまで、救い主である

キリストを宣べ伝え始めたのです。

同じように、私たちも今、この救い主を信じ味わい始めた者です。しかし、
私たちは今日、本気で

このキリストを生きている神と認めた生き方をしているでしょうか。



B そこで、イエス様が今私たちに何を願っておられるのかを見てみましょう。     

まず弟子たちは、伝道の帰りの舟の中で、パンを持って来なかったという事で議論を始めました。

そんな彼らに言われました。「なぜ悟らないのですか。こころが堅く閉じているのですか。目があり

ながら見えないのですか。」と。

それは彼らが、イエス様が5つのパンと2匹の魚で五千人を満腹させ、湖の嵐を静め、湖上を歩か

れ、多くの病人を癒されたのを、目で見、耳で聴いていたにもかかわらず、新しい困難が起こって

くる度に、主への信頼を振り出しに戻してしまい、味わった恵みの経験を生かしてこなかったから

です。これは、私たちも全く同じことを経験している者です。恵みを味わったすぐその後で、困難が

来ると「ああ、ダメだ。」と考え、体験した信仰を働かそうとせず、失望してしまうのです。

こんな私たちに主は、「まだ悟らないのですか。」と、私たちがすぐ不信仰に捕らわれていくことを

嘆いておられます。だから、
信仰は心が堅く閉じられていては、生まれてきません。いつも心が

開かれていて、初めて信仰が生まれてくるのです。主は、生きている自分に、変わらない心で

信頼してくることを願っておられるのです。


C このように、私たちは、キリストに対して生きている者ですから、自分の都合の良い時だけ

信じ、都合が悪くなると心を閉じると言うのでは、この世の人と変わりありません。

私たちは、復活した生きているキリストに対して生きている者です。だから、困難に遭遇しても、

意識して心を開いていくべきです。

主は生きておられますから、本気で生きている神と認めた生き方をしていきましょう。



                               


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