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2025年10月5日

自分に対してではなく、全能主に対して生きる残りの生涯と
心の中に入れて、信仰の歩みを全うする

第Ⅰコリント 12:18、ヨブ記9:10、マタイ 22:23~33  


(起) マタイ22章23~33節の記事から、「自分に対して生きるのではなく、全能主に対して生きる

残りの生涯だ、という事をしっかりと心の中に入れて、
信仰の歩みを全うする事」を学んで行きたいと

思います。


(承)まず、ヨブ記9章10節を見ますと、「全能主は大いなる事を行って測り知れず、その奇しい

御業は数えきれない」
とあります。今日は、血管の仕組みを通して全能主の計り知れない御業について

見て行きたいと
思います。血管は生命維持の為の運搬道であり、栄養と廃棄物の相互交換の働きをして

います。そこで大事なのが、栄養と廃棄物の相互交換の為に、圧力を徐々に下げて行くという血管のシステム

です。どういう事かと
言いますと、栄養と廃棄物の交換をする時に、血液を送り出す圧力が強く、血液の

流れが速い場所では、交換の
作業ができません。しかし、圧力が弱く、血液の流れが緩やかな場所なら、

交換の作業ができます。ですから、血管の太さを徐々に細くしながら圧力を下げて行き、最終的に一番

細い毛細血管の太さを5~10㎛(5/1000
10/1000mm)にまで細くし、圧力を下げて、人間に必要な

栄養と廃棄物の交換をしているのです。即ち、最初に
心臓から出る大動脈は強い圧力を受けるため、直径

約25mmの太さで、壁も厚い血管です。次が中・小動脈
、直径約4mm~6mmですが、一気に圧力を

下げて細動脈に向かいます。これは、30㎛(30/1000
mm)です。そして、最先端の血管は5/1000mm

10/1000mm
毛細血管になります。この時の血管の層は1枚だけになります。そして、人が食べた食物が

全て
10/1000mmの毛細血管の中を通って行きますので、人が食べた食物の栄養は全てが10/1000mm以下に

まで細かく分解され、砕かれて運ばれ、吸収されるということです。
このように、食べた大切な

栄養素が壊れることなく、1ミリの5/1000
以下まで細分化され、毛細血管から、40兆個に及ぶ直径

約0.2ミリの各
細胞に運ばれ、吸収されて、人はエネルギーを得ているのです。これは、何という

測り知れない仕組みでしょうか。
果たして偶然にできる仕組みでしょうか。ここまで緻密(ちみつ)に考え

られた仕組みは、「サムシング・グレイト」と言わ
れる全能主しか創り出す事ができません。まさに、

全能主は大いなる事を行って測り知れず、御旨の
ままに驚くべき器官をそれぞれ身体に備えられたの

です。決して当たり前の仕組み、身体、命ではないので
す。


(転)では、この全能主にあって創って頂いた命を、私たちの人生の中で、どのように用いていけば

良いのでしょうか。それは、人間は創られた命ですから、創って下さった方の御旨に適う生き方をしていく

必要があります。それは
、創造の真理に基づいた命の使い方をしていく行動です。しかし、それが私達に

とって一番難しいところです。例えば、全能主から「ヨルダン川を渡りなさい」と言われた時に、「川の

流れで流されてしまうかもしれない。
一歩間違ったら死ぬかもしれない」と思うと不安になり、川の

手前でうずくまってしまう人がたくさんいるからです。それは、自分の能力を超えた行動は出来ないと

思う感情から来る恐れです。即ち、自分にできる可能性があるかないかを考えて不安になり、一歩を

踏み出す事ができないのです。しかし、その生き方はもう過去の
生き方です。なぜなら、信じた者は、

どこまでも全能主に対して生きて行くのであり、その全能主の中で考え、行動して行く(はず)だから

です。
ですから、いちいち自分を見て、自分の能力の中で考えてはいけません。いつも全能主にあって

考えるべきなのです。そうすれば、「全能主にできない事はないから、信じて歩み出す」という考えで、

一歩を踏み出す事ができます。これが信仰です。このように、「自分は全能主に対して生きて行く
という心を

定め、その中で歩み出す行動を起こす事によって、信仰の高嶺に向かって行く事ができます。また、

聖書を読む時も、どこまでも全能主に対して考えて読む、という事が大切です。例えば、マタイ22章

23~33節を読んで行く時、ここでは復活を信じていないサドカイ人達の記事が出て来ます。彼らは

「ある7人の
兄弟がいて、全員が長男の妻を(めと)って子を残さず死んだ場合、復活の時には、

この女は誰の妻になるの
ですか」という質問をします。これに対して、イエス様は「あなた方は聖書も

全能主の力も知らないので、誤解を
しています。復活の時には、人々は娶ることも、嫁ぐこともなく、

天にいる全能主の御使いたちのようになるのです」
と言われたのです。即ち、天ではもう「産めよ。

増えよ。」という世界ではなく、「イエス様によって贖われた
者たちだけの世界」なのです。これが、

天の御国の考え方です。ですから、このように私達は全ての物事を全能主に対して考えて行かなければ

なりません。地上の考えを()ぜこぜにして考えてはいけないのです。ですから、このサドカイ人の

物の見方、考え方自体が地上的で、全能主に対して考えていなかったことなのです。

(結)それでは、私達は全能主に対して、「信仰の歩みの第一歩をどうやって踏み出したらいいのか」と

悩みますが、それは、自分に対して考えているから悩むのです。そうではなく、全能主に対して

考えて行けば、
ただ、素直に全能主を信頼して、大見得を切ってでも、聖書が正しいのですから、

聖書の論理に
立って考え、ただ信じる信仰によって一歩を踏み出せばいいのです。そして、私達にとって

一番重要なのは、まず全能主の国と全能主の義を第一に追い求めて行く事です。私達は、自分の義と

自分の栄光を追い求めて
行くのではありません。また、地上にあって自分の御利益を追い求め続けて行く

ものでもはありません。私達は
天の御国に迎えられる為に信じたのです。そして、その為の必要を

イエス様が全て満たして下さいました。
それならば、私たちの残りの生涯は、自分のためではなく、

全能主の御心の為に、役に立つ生き方をして
行けばいいのです。地上の残された時間は、すべて全能主の

ためにあります。つまり、私達が命をいただいた
目的、価値、残りの時間は、全能主に対して生きて行く

ためにあるのです
。どうか、自分に対して生きるのではなく、全能主に対して生きる残りの生涯だという

事をしっかりと心の中に入れて、
信仰の歩みを全うしようではありませんか。


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